エルナの修道院 Monasterio de Elna

1883年の6月18日から3日間、ガウディがかなり精力的に加わったカタルーニャ科学遊覧協会はフランスへ足を延ばした。現在の南仏ロセジョンのバニュルス=シュル=メール(Banyuls-sur-Mer)でカタルーニャ人と、南仏の旧カタルーニャ文化圏の人たちが集うという集会に参加するためである。ピレネーのフランス側にあるこの一帯は政府の引いた国境線に対すればいかにもあいまいな国境感があり、国境の商売である密輸入で生計を立てていたほどであった。文化圏ではパリにはほど遠く、カタルーニャに隣接しているからだ。しかも1285年にこの地はカタルーニャであり、フランスではないという理由でこの村の修道院が破壊されるといういきさつがあった。19世紀に経済盛隆の雰囲気にカタルーニャ人がレコンキスタをしようということだったのだろうか。協会の記録によればこの時100人ほどの規模の歓迎の晩さん会が開かれたという。その翌日ガウディ他、詩人であり、アントニオ・ロペスの寄宿僧ベルダゲ、カタルーニャ文学の再興に尽力したアンジェル・ギメラなどを率いてこのカタルーニャと因縁のあるこの修道院見学を見学している。