シルベストレ・ペレス

Silvestre rez
生:Épila [Zaragoza]/1767〜1825年
スペインの建。サラゴサでアグスティン・サンツに学んだ後、ベントゥーラ・ロドリーゴ*に学び(1781〜85年)ネオ・クラシックを身に付ける。その後1791年から96年まで奨学金を得てローマに学ぶが、ちょうどギリシャ、ヴォトリヴィウスのが廃れ、ローマの建築が再評価される時期に当たり、これに感化される。1796年完成したモトリコ(Motrico, Guipscoa)。次いでベルメオの教区教会(Bermeo, Vizcaya, 1820年、未完に終わっている)を手掛けているが、この間ビルバオの都市計画なども立案している。ちょうどフランスの支配下にあり、ナポレオンの兄ボナパルト(José I Bonaparte o José Napoleón 1768 〜1844年。1808年6月6日から1813年12月11日までスペイン国王)がスペインへ入国すると、市の建築官としてペレスを任命。王宮周辺の都市改造、セゴビア通りのレベル差を調整するための陸橋などを建設するのをはじめ、マドリッドでの記念碑的な建築を手掛けている。この時代の建築作品がトレドの門(Puerta de Toledo,既存のアントニオ・アグアード*の作品はこの時移転された。)ナポレオンの撤退とともに、ペレスはフランスに亡命。1815年までフランスで過ごすが、帰国後はバスク地方で仕事をし、ビルバオ市役所(Bilbao, 1819年)、サン・セバスチアン市役所などを残している。

ビルバオ市庁舎