エミリ・カバーニャス・イ・ラバッサ

Emili Cabañas i Rabassa
建築家。
ガウディが制作したマタロの協同組合計画のうち、労働者の住宅のプロジェクトにカバーニャスはサインしている。この図面は建築申請を出すためのもので、1878年3月29日の日付が入っているが、実はガウディは3月の15日に建築家の称号を得たばかりだった。カバーニャスのサインはマタロの建築官であったので建築申請を出すのに必要だった。カバーニャスはその後マタロの市長を1898年〜99年、1902年から5年までの2期務めている。
ガウディとのその後の接触はマタロに仕事がなかったわけだから、マタロではなかったが、1882年にガウディがバルセロナのカテドラルのファサード・コンペの時師マルトレイに協力し、ドラフトマンとして参加しているわけだが、コンペ審査後にちょっとしたいざこざがあった。つまりコンペ審査への不服から反対運動が起きたのだが、この声明文に28人の建築家が抗議のサインをし、その中にカバーニャスの名前が入っていた。