エドゥアルド・カルベ・イ・ピント

Eduard Calvet i Pintó(1875 〜1917年)
実業家、政治家。バルセロナ郊外のビラサールデ・ダルト出の繊維業を営む家庭に生まれる。バルセロナ市内にカルベ家は工場を持っていたが、1896年の父の死に、未亡人の他二人の子供ペラ、エドゥアルドがこれを受け継いでいる。ペラは若くして他界してしまい、実質的にエドゥアルドが後継ぎとなった。エドゥアルドは思想的には共和制支持だったのだが、地方主義リーグとして1906年の選挙で国会議員となる。しかし翌年には共和党国家主義連盟に転向。1910年には再度共和党に転向したりしている。この頃から事業に精を出すようになって国際綿産業会議を1911年にオーガナイズしている。事業も700人の従業員、3か所に工場を持つほど成功している。ガウディに自邸の設計依頼する勢いが、このカルベにはあった。