ホアン・デ・リベーロ・ラダ

Juan de Ribero Rada
生:Rada[カンタブリア]/1540年 没:サラマンカ/1600年
スペインの建。
石大工フアン・デ・リベーロの子である可能性あり。ロドリーゴ・ギル・デ・オンタニョン*の弟子、フアン・デ・エレーロ*と仕事をしている。
サモーラ、バジャドリッド、サラマンカで仕事を残している。サモーラではカテドラルの回廊(Zamora)の火災後これを再建している。サラマンカではオレジャーナ宮(Orellana, Salamanca), サン・エステバンの修道院(Convento de San Esteban, Salamanca), 現存しないヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ベーガの修道院( Nuestra Señora de la Vega, Salamanca), サン・ビセンテ修道院回廊の階段(Monasterio de San Vicente, Salamanca)あるいは サラマンカの新カテドラル(Catedral Nueva) のゴシックの内陣部分を時代のスタイルに変更している。 フアン・デ・ナンテス*としばしば協働している。サンタ・エスピーナ修道院(Monasterio de la Santa Espina, 1575年)、バジャドリッドのウエルガス・レアーレス修道院 (Monasterio de las Huelgas Reales, Valladolid, 1579年)00
フアン・デ・ナンテス*は1582年にレオンのサン・クラウディオ修道院(Monasterio de San Claudio, León)をフェリペ・デ・カシーガに譲っているが、プランはフアン・リベーロ(Felipe de la Cajiga)の設計になっている。
1600年フアンの死にフアン・デ・ナンテスはサン・アグスティンの教会(San Agustín, Madrigal de las Altas Torres[Ávila])の建設を引き継いでいるというように、協働体制ができていた。
パラッディオの建築四書をスペイン語に翻訳している。

サラマンカ新カテドラルの内陣天井