ディエゴ・デ・シロエ

Diego de Siloé/Siloee
生:ブルゴス/1495年頃 没:グラナダ/1563年
 スペインの建、彫。彫刻家●ヒル・デ・シロエ(Gil de Siloé/15世紀)の子。イタリアへ旅行していることがわかっているが、彼が最初に仕事をした場所はブルゴスの父の仕事場。1517年にはナポリにいて、ブルゴスの彫刻家バルトロメ・オルドーニェス(Bartolomて、ブルゴスの彫刻家バルトロメ〜1520年)と協働してカルボナーラのサン・ジョヴァンニ教会のカラッキョーロ祭室の祭壇彫刻(Caracciolo, San Giovanni, Carbonara)に携わっている。彼の独立してからのはじめての仕事はブルゴスで(Burgos, 1519年から29年)主にカテドラル内で彫刻家として活躍している。このうち最大の仕事は堂内北側の「黄金の階段」(1519〜23年)。コンデスタブレの祭室では祭壇(Condestable, 1523年、Philippe Vigarny/Biguerny, 1543年没と協働)、およびサン・ペドロの祭室(San Pedro, 1523頃)をミケランジェロの影響下に製作している。その後グラナダに移り、サン・ヘロニモ教会(San Jerジェロの影響下に製作し年)に働き、キューポラの上部、彫刻のほとんど、身廊の僧席イスを実現させている。グラナダ到着の頃、そのカテドラルはエンリッケ・デ・エガス*の案に基づいて壁の建築が続行されていたが、これをルネサンス様式でデザインし直して建設を続行することを命じられる。その後、アロンソ・カーノ*によって完成されている。このうち2つの鐘塔を持つファサード、交差廊部のロトンダ、周歩廊、凱旋門風アーチ、バシリカ風身廊、コリント式柱頭の起用などが注目に値する。1531年から34年は玄関入口、1533年にはロトンダと周歩廊の建設に着手している。1538年には鐘塔の最初の層が完成している。この建設は彼の没年まで続き、その後の再開は1577年に原案に修正が加えられて再開された。堂内の彫刻のほとんどは彼の手になっているが、そのうち聖器室の入口にある聖母とイエスメダリオンと謝罪の門の天使たちが興味深い。エンリッケ・デ・エガスによってカテドラル建設以前に存在していた王室礼拝堂(1506年)では、シロエはカトリック両王の彫刻を後年製作している。グラナダのカテドラルのスタイルは、マラガのそれを建設する時に影響を与えているほか、アンダルシア地方のプラテレスコ様式に多大の影響を及ぼしている。

三交社 西欧建築家事典より

ブルゴスのカテドラル「黄金の階段」