ペラ・ミラ・イ・カンプス

Pere Milà i Camps (1874〜1940年)


弁護士、政治家、実業家。
1907年にはカテルーニャ連帯党として国会議員、1910、1914年には無所属として国会に当選。ドメネク・イ・モンタネールも入党していた地方連盟党を推進に尽力し、77ページに及ぶマニフェストを残しているが、独裁を指示し、同僚のカンポを批判したりもしている。
レウスの商人の娘であるロゼ・セギモン(Roser Segimon i Artells, 1870〜1964年)と結婚していたが、彼女は中南米で財をなした前夫から膨大な財産を得ていて、再婚したペラ・ミラとともに闘牛場を経営し、ガウディに当時の一等地に1600平米の住宅設計を依頼し、この上階を賃貸しとした。これが現在のラ・ペドレラである。
スペイン戦争中には闘牛は禁止されて、スタンドはスロープに変えられ駐車場になったり、ガウディに設計依頼したカサ・ミラは州政府が占拠したという時代もあった。
しかし、奥さんのセギモンはもともとガウディを嫌っていたから、ガウディがデザインした内装を、夫が死ぬとすぐに壊してしまった。

セギモン夫人はミラが死ぬとすぐ、気に入らなかったガウディのインテリアを改装してしまう