リカルド・オピソ・イ・サラ

Ricard Opisso i Sala (1880〜 1966年)
スペインの画家。
タラゴナに医者であり、美術評論家さらに作家である父を持ち生まれるが、2歳で家族はバルセロナへ移住。1892年以降サグラダ・ファミリアで見習いとして仕事をしている。その後ドラフトマンにまで昇格している。グエイ公園でもドラフトマンとして仕事をしている。6年間ガウディと仕事をした後は『4匹の猫』のグループたちに接近し、ラモン・カサス、イシドロ・ノネイ、ピカソらと親交を結ぶ。1903年以降は雑誌クク(¡Cu-cut!, 1902 〜12年まで刊行されたカタルーニャ主義の雑誌)あるいは1912年以降はエスケージャ・デ・ラ・トラッチャ(L'Esquella de la Torratxa) (a partir de 1912)のイラスト画家として仕事をしている。両者とも政治色の強い雑誌であったが、同時に審美的には世紀末特有の雑誌だった。1923年の独裁政権の成立に政治色のない風刺画を描くようになる。戦後には画家として評価されるようになった。ガウディを描いたデッサンも何点か残している。

オピソが描いた1900年の作業中のガウディ

臨終のガウディ 右手にあるステッキは現存している。