フランシスコ・デ・ビジャパンド

Francisco de Villalpando
生:Villalpando[Zamora]/,1510年頃
没:Toledo, 1561年頃
スペインの建。彫。聖像、聖器製作。
コバルビアス*と同世代で当時の代表的な建築家。彼はフィレンツェの技術と趣向をスペイン建築に導入した事で記録に残されている。1540年トレドのカテドラルの僧席の鉄細工のコンペに参加した記録が残っているがそれ以前の記録は乏しい。1542年にはバジャドリッドからトレドに移動。このコンペの主催者である、テベラ司教(Juan Pardo de Tavera, 1472〜1545年、宗教裁判審議会、サラマンカ大学の学長)の庇護を受け、王室の仕事を残している。1533年から1537年頃イタリアへ遊学した事が彼の作風を決定付ける出来事となった。イタリアではトスカナ語をあやつり、ブロンズ細工の技術を身に付けた。トレドのカテドラルの僧席にあるチャペルの柵(1543〜52年)はもちろん、ライオンの門のブロンズ扉(没後の1564年甥のRuy Díez del Corralによって完成)も製作した。
彼の作品はセルリオの影響を受けているのは明らかで、ライオンの門はセルリオの第4書に出てくる木の天井のデザインに似ているし、僧席に使われた装飾も似ている。
建築でもその傾向は強く見られ、トレドのアルカサールのパティオでは1552年ゴンサレス・デ・ララ*の後を受けてコバルビアスの設計を実現したが、階段のアーチにもその影響がみられる。この時代以降からは自らも建築の設計者としての仕事に携わった。しかし、彼の最大の貢献はセルリオの建築書Tutte l'opere d'architettura et prospettivaを訳した事である。第3と第4書を訳し、1552年にこれをトレドで出版している。16世紀中頃のスペイン建築界に深く浸透し、3000部が売られたという。