ジョセップ・リベーライ・サンツ

Josep Ribera i Sans (Tivissa, 1852 - Madrid, 1912)
1852年レウスの近郊エスプルガスの教師の子として、ティビサ(Tivissa)の村に生まれる。学校はレウスのエスコラピオスの学校に通い、ここで同級生のトダと親しくなり、更にガウディと繋がり、この3人は友人関係を結んだ。
ジョセップは父の学校のあるエスプルガスに隣接した当時は廃墟化していた巨大な修道院、ポブレの話を友人たちにしていた。このことから、夏休みを利用してこの修道院の見学をしたり、小説を書くのが好きだったジョセップは手描きの雑誌を刊行するという話を彼ら同級生に持ち出し、『エル・アルレキン』を出版した。
1867年には孤児となってしまい、南のアルメリアに住む伯父を頼りに移住。その後医学を学び、1877年には医者となって、マドリッドの小児科病院の外科医となっている。後にはマドリッド大学の外科臨床学部の学長をつとめた。
著作には『幼児外科』(1887年)、『外科臨床学全書』(1900年)などを残し王立医師学会のメンバーとなっている。

リベーラの故郷エスプルガス