アントニオ・サバレータ

Antonio Zabaleta
生;1803年 没;1864年
スペインの建。ロマンティシズム期の建築家。活動の場所はマドリッドサンタンデール。ネオ・クラシシズムの時代に生きたが、ロマンティシズムに傾倒し、折衷主義の作品を残している。スペイン立憲革命(1820年)の煽りを受けて1823年にパリへ移住せざるを得なくなるが、それでもサン・フェルナンド・アカデミーは奨学金を彼に支給している。その後さらに11830年にはイタリアへと移住している。その3年後に建築家のタイトルを得る。スペインに戻ると、建築学校の教授、1854年度は学長まで務めるようになる。国内建築コンペに多々応募したが、国会議事堂のコンペでは第2位になった。(一位はナルシソ・パスクアル*)
マドリッドではネオ・イサベリーノスタイルのカペジャネスの浴場をセレンケ広場(Baños de Capellanes, Plaza del Celenque, 1836年)を、サンタンデールではボティンのアーチの家(Casa de los Arcos de Botín)、サンタ・ルシアの教会(Iglesia de Santa Lucía)