カルレス・センティス・イ・アンフルンス

Carles Sentís i Anfruns (1911〜2011年)
ジャーナリスト。
カルロスの祖父はリウドムスの医者でその伯父エウセビ(Eusebi, 1851〜1921年)は薬剤師であり、もう一人の兄弟はガウディの幼馴染のガエタ(Gaietà, Riudoms 1846年– Tarragona, 1922年)であった。
ガエタは僧侶となり1868年にレオンへ配属になった。レオンでガエタはその姪であるジェルトゥルディスの家に厄介になっていた。この家にガウディもカサ・デ・ロス・ボティーネスの現場に出た時は厄介になっていた。
バルセロナのサンティスの家には家族がよく集まった。リウドムスに住んでいたプラシド・サンティス(カルロスの伯父)もその一人で、バルセロナに来るとサグラダ・ファミリアへ行き、ガウディに食事を御馳走になった。食事の後はいつもタクシーを拾って父の家に帰ると、目玉焼きを作ってくれるように頼んだ。その御馳走してもらった食事というのが余りにも質素で、最後がヘーゼルナッツのデザートで、おなかがきつくならなかったからだ。
こういう話をカルレスは家族から聞いていた。しかし、カルレスが最初にガウディと会った時は14歳でもう帰らぬ人となったガウディであった。サンタ・クレウの病院に父親と兄弟そろって通夜に行った時だった。その時の様子というのは全くの宗教的な装飾も献花もなかった。遺体は市電に撥ねられて、車輪の下敷きになったものの、外傷は見当たらなかった。黒っぽい服を着て、現場での日焼けの顔、白髪、ひげも白かった。至って安らかな顔がカルロレスの記憶に焼きついた。

瀕死のガウディ