バルセロナのガウディ建築案内番外編⑱

カタルーニャ主義科学遊覧協会Associació Catalanista d'Excursions Científiques現在ではカタルーニャハイキング協会(Centre Excursionista de Catalunya)という名前で現存するが、もともとは1876年にカタルーニャ主義科学遊覧協会という名前で設立された。その2年後にカタルーニャハイキング協会ができ、1890年に両会が合併して現在も活動している。
カタルーニャ主義科学遊覧協会(Associació Catalanista d'Excursions Científiques)は彫刻家のパウ・ギベルト(Pau Gibert i Roig, 1853年−?), 文筆家ジョセップ・フィテ(Josep Fiter i Inglès, 1857-1915年), イラスト・ライター、エドゥアルドカニベル(Eudald Canivell i Masbernat, 1868-1928年), ロマ・アメット(Romà Amet), マルサル・アンブロス(Marçal Ambrós), ラモン・アンブロス(Ramon Ambrós)によって 設立されている。ガウディは1879年4月29日にマタロの労働者組合の推進者であるバジェス(Salvador Pagés i Anglada)の勧めで入会している。どうやらガウディの入会の目的はここでソーシャル・ネット・ワーキングをするつもりだった。実際この協会で地方出身のガウディはバルセロナ社交界、文化人など多くの人と知り合うことができた。1879年の10月31日のこの会報にレイアル広場に出来た街灯の記事が載ったのをはじめ、実際ガウディも精力的に会に参加して会員と遠出をして文化人やインテリたちと親交を深めていく。会員の中には他に建築家がいなかったのか、実際に会のイベントあるいは会議室のデザインを依頼されたり、会のロゴのデザイン、モニュメントへの建築的なレポート執筆なども担当し、1880年末には役員にまで任命されている。
市内のモニュメントはもちろんカタルーニャのいくつかの土地を訪ねたが、そのなかでも1883年6月20日から翌日までは南フランスのかつての北カタルーニャの地を訪ねている。特に21日はカタルーニャであったということからフランス中央政府から焼き討ちにあったという歴史を持つ、エルナ(フランス語ではエルヌ(Elna/Elne)の村のカテドラル(Seu Santa Eulàlia i Santa Julia)を訪ねているのだ。同行者の中には当時のインテリ、文化人が多数参加していた。その中にはベルダゲール、劇作家アンジェル・ギメラ(Àngel Guimerà i Jorge, 1845-1924年)等がいた。
このカテドラルは12世紀から14世紀にかけて建設された有名な回廊があり、遠出をした会員たちと一緒に記念撮影をしている。ガウディは自分では建築の設計プロセスで最初に写真を投入した建築家であるが、自身は写真に撮られるのを嫌い、メンバーでの記念撮影をこの回廊でしているが、逃げるわけにもいかず横を向いている。
所在地:carrer Paradis
アクセス:地下鉄L4 Jaume I下車、L3Liseu下車15分



古代ローマの寺院がこの場所にある