2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

モデルニスモ Part 13 カネットのドメネク記念館

ドメネク XI カネットのドメネク記念館 Casa Museo Doménech i Montaner, Canet de Mar 海岸線からは中に入っているが、海が見えるという中々のいい場所にこの家はあります。 ドメネクの胸像 書斎 音楽堂のセクション模型。これはこの記念館のために新たに作…

ネオ・ムデハル Part 3

アギーレの学校 Escuelas Aguirre, Madrdiエミリオ・ロドリーゲス・アユーソEmilio Rodríguez Ayuso (1845〜1891年)はネオ・ムデハルという時代の風潮を築く先駆者となった建築家で、1934年に壊されてしまうがゴヤにあった闘牛場を設計して名声を馳せ、スペ…

モデルニスモ Part 12 カサ・フステール

ドメネク X カサ・フステール Casa Fuster(1908〜1911年), Barcelona 正面ファサード 側面はもともと店舗、あるいは倉庫となるとなる予定だったのか・・・ もともとのメインエントランス。この彫刻がガウディのエル・カプリチョ邸のものと似ている 側面ファ…

ネオ・ムデハル Part 2

旧聾唖学校, Madrid

モデルニスモ Part 11 カタロニア音楽堂

ドメネク VIX カタロニア音楽堂, Palau de la Musica Catalana, 1905〜1909年 メインファサードのコーナーの彫刻群 2階部分のギャラリー インテリアは建設当時は更に派手な内装があったのですが、壊れてしまい、現在はこのステンドグラスがハデハデに残って…

ネオ・ムデハル

このムデハリズムがロマンチシズムと結びついてカステーィジャ地方を中心として広がった。例えばマドリッドの自然科学博物館(Fernando de la Torriente設計, -1886年 Museo de Ciencias Naturales, 1881-87年)、同種療法病院病棟(Emilio Rodriguez Ayuso設計…

モデルニスモ Part 10 サン・パウの病院

ドメネク VIII サン・パウの病院, Sant Pau, Barcelona 建設中の写真が絵葉書になった。デジタル印刷でない時代としてはこれは画期的なことというか、それほどにもこの病院建設は期待されていたのであろう。 全体の鳥瞰図。これで面白いのはメインのモニュメ…

モデルニスモ Part 9 スペイン旅館

ドメネクVII スペイン旅館 Fonda España 1902〜1904年 バルセロナ市内にある、現在もホテル、レストランとして営業している。1904年、この作品でもドメネクは市の建築年間賞を受けている。

混血のスペイン

8世紀にわたるスペインのアラブ人の支配はさまざまな面で、ポジティブにスペイン文化・社会に影を投げた、というのも、そこには支配・被支配の関係、つまり後年スペイン人自身が南米諸国で行った改宗義務の強要すらなかったばかりか、彼らは当時のスペイン人…

モデルニスモ Part 8 カサ・ソラ

ドメネク VIカサ・ソラ Casa Solà, Olot, 1913〜1916年 これは既存の建物を改装しています。言ってみればガウディのカサ・バトリョと同じですが、自分が築いたスタイルに変貌させているという意味では、ガウディの設計の姿勢とは全く違います。バルセロナに…

フォンセレ/セルダ

このような状況がバルセロナのガウディを取り囲む建築界にもあった。一介のマエストロ・デ・オブラであるフォンセレはボルン市場Mercado del Born(1874−76年)で鉄を使った構造物を計画し得たし、都市計画の分野ではセルダIldefonso Cerdà(1816−76年)は更…

モデルニスモ Part 7 マジョルカのグラン・ホテル

ドメネク V マジョルカのグラン・ホテル Gran Hotel Mallorca 1902〜1912年? 現在は銀行のファンデーションとして使われている。 以上2008年2月2日撮影

ボザール

正統的な建築家は19世紀の後半に入ってもルーブル宮の新館(1852−57年)、パリ・オペラ座(1858−64年)という過去の構造、過去の様式に根ざしたものをつくっていた。 パリ・オルセーに展示のパリ・オペラ座模型

モデルニスモ Part6 カサ・トマス

ドメネク IV カサ・トマス Casa Thomas 1895〜1898年 凸版印刷会社の住宅兼工場として当初は設計される。当時は地下を工場に、1階に事務所、2階にJosé Thomas家の住宅があった。一階部分は大きなアーチで開口が取られ、これが地下へ自然光を導いている。シン…

新建材

ところがこれらの革命の先駆者たちは(エクトール・オローのような例外はあるにせよ)いずれも建築家と呼ばれる職種の仕事ではなかった。吊橋はエンジニアによって架けられたし、モニエの実験はオレンジの植木鉢であったし、クリスタル・パレスの作家パクスト…

2. 発端

2/1 当時の建築的風景 1878年の1月4日卒業認定試験を終え、3月15日に建築家のタイトルを得たガウディは既に前年母をなくし、兄も姉もなくし、父親と姉の忘れ形見ロゼールだけという身寄りになっていた。しかし、彼には建築という仕事があった。 さてここで建…

モデルニスモ Part 5 カサ・リェオ・モレーラ

ドメネク III カサ・リェオ・モレーラ Casa Lleo Morera 1903〜2905年 正面ファサード立面・オリジナルドローイング(現在の1階部分が改装されていることが分かる) 正面ファサード部分詳細・オリジナルドローイング

シウタデーリャ公園計画以外でも仕事をしていた

ガウディはシウタデーリャ公園にフォンセレとの仕事をこなしているが、この他にも既に述べた機械関係の商社パドロ・ボラス社(Padró i Borràs)にドラフトマンとして働いたし、エミリ・サラ(Emili Sala Cortés, 1841〜1920年)という19世紀末に一番仕事量を抱…

モデルニスモ Part 4 ナバス邸

ドメネク IIナバス邸, Casa Navàs, Reus 1901〜1907年 恐らくドメネックのデザインした住宅で一番当時の姿を残しているのがこのナバス邸だろう。バルセロナのカサ・リェオ・モレーラと内装を担当したアーティストたちはと同じなのだが、リェオ・モレーラ家の…

シウタデーリャ公園、周辺に現存する施設

現在のシウタデーリャ公園 上部が動物園、現在移転計画があり、新しい動物園が建設中。 下左手が大滝、中央左が現在カタルーニャ議会場となっているかつてのアルセナル、右側が日除室、その下が鉱物博物館、さらに温室、また万博の時に作られたCafe-Restaura…

モデルニスモ Part 3 モンタネール・イ・シモン出版社

ドメネク とはいえモデルニスモを最も特色づけるのは建築においてであろう。バルセロナ市の格子状に組まれた新市街区を形成している様式は,とりもなおさずモデルニスモである。そしてドメネク・イ・モンタネールをその中心的人物として取り上げても間違いは…

モデルニスモPart 2

モデルニスモ アール・ヌーヴォー,ユ一ゲント・シュティール,モダーン・スタイル,スティル・リベルティ,セセッションなどと呼ばれた19世紀末の近代芸術運動の波はこのカタルーニャにも押し寄せて,一般的にはモデルニスモと呼ばれ,稀にアルテ・ホベン(…

シウタデーリャ公園の歴史的な流れ

要塞として建設されたものの実際には要塞として使われることはなかった。軍の施設の他には刑務所があった。 要塞内部のプラン 要塞として作られた時の塔シウタデーリャ公園の国際コンペ案 Carlo Macchiachini案 フォンセレ案 スイスの農家を再現乳牛のパビリ…

モデルニスモ Part 1

ガウディ、その周辺出典 A+U 1974年5月号アントニ・ガウディに対する不当な扱いや誤解というものがなくなって久しい。過剰気味なほどの出版物の数々は二百に達しようとしている。ところが,それらがこんどは伝説的な物語を生み出し,われわれを悩ましている…

シウタデーリャ公園 Part2

ガウディがデザインしたとされる小広場の手すり これで当時の職人の腕が分かりますね。石がめくれるように彫られています。 ガウディがデザインしたとされる公園のフェンスと門扉 しかし、これは当時の建築学校で教わったものをそのままという感じですね。無…

カタルーニャ・ロマネスク

カタルーニャ・ロマネスクとロンバルディア・ロマネスクの版図 Puig i Cadafalch作図バルセロナ市内にはサン・パウの他にもロマネスク教会が残されています。サンタ・ルチアSanta Llucia カテドラルに貼りつくように建てられ、カテドラルの中からは直接これ…

シウタデーリャの大滝

大滝全景 1972年3月撮影 最上段はコロムナードがある ガウディはドラゴンをモチーフとしていつも使ったのだが、これが最初だろう コロムナードの奥にはアクアリウムが計画されていて、一時はオープンされていた このロカイユはどうもガウディらしいが、同時…

ガウディのシウタデーリャでの仕事

ガウディのこの公園での仕事はまず貯水場の構造計算であった。これは既に他の弟子がフランスの建築雑誌を参考にして計算していたのを、ガウディが後を継いだのであるが、計算を終えたものをフォンセレ自身は信用しなかった。むろん二年生になったばかりの学…

サンタス・クレウスの修道院/Santas Creus

サンタス・クレウスは複合建築となっている。手前のバロックの門から始まり、ここに住む人たちの居住部分、更に奥に修道院施設があり、コンプレックスを作っている。 門をくぐると細長い広場があり、これが建物で囲まれています。要塞化しているのはこの部分…

フォンセレ

建築家をさしおいて、一介のマエストロ・デ・オブラスであるフォンセレがこのコンペを勝ったというのはガウディを引き付けるものがあったのではないか。当時は今以上に建築家の世間的な地位は高く、建築界での言わば技術屋である、マエストロ・デ・オブラス…