ヌマンシア/Numancia

ヌマンシアは地理的にドゥエロ河のほぼ源、またエブロ河ともさほど遠くない位置にあり、ローマにとっては中央メセタ進出への重要地であるのだが、「ヌマンシアの戦い 」は「ローマの恥」といわれたほどの苦戦で、十年間(紀元前143-133年)続いた。
この戦でローマは数々の名将を失ったばかりか、最後にローマからの六万の兵士を従えた小スキピオ の到着を待ち、15ヶ月の兵糧攻めの末やっと落としたといわれる。またヌマンティアの住民はこれに対して、死者を食い、死人、弱者を打ち殺して抵抗したのであった。
さて、このヌマンティアの不落の独立都市は、8000から1万の人口を抱えていたといわれるが、その塁壁は、1.5メートルの厚み、二重の切石積みで、中央部を石と泥を封入して補強し、上部を日干しレンガでかため、いくつかの塔がそれを守り、堀が巡らされていた。
塁壁内は約720x310メートル、22ヘクタールの広さを持ち、南北に2本、それを直角に切るように10本、さらに卵型の市の外形を閉じるように街路が引かれている。家々は平面矩形下層は切石積み、上層は日干しレンガ積みで、屋根は木の枝と泥で葺かれ、特に地下に掘られ木で覆われた貯蔵庫が発見されている。

現在のヌマンシア。市は防御しやすい周囲の見渡しのいい高台に作られている。1986年12月撮影

市壁は跡形もなく壊されてしまいましたが、道の跡ははっきりと残っています。

こちらは発掘、部分修復された住宅跡です。
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