サンティヤゴの道/Camino de Santiago


トゥイのカテドラル
サンティヤゴの巡礼道の終点、サンティヤゴ・デ・コンポステーラに、現在の会堂が建設され始めるのは、司教ディエゴ・ペラエス(Diego Peláez,1071年任に就く)の時である 。建築家はベルナルド、石工長は50人の職人を率いたロベルトという。この名からすれば、おそらくフランス人であるらしいのだが、その真偽は会堂のプランに、より明確となる。
サンティヤゴのプランはラテン十字、身廊、トランセプトとも三身廊、アプスには5つの半円の礼拝堂がつくというもので、同時代の建立の会堂を巡礼道から拾ってみるとトゥールのサン・マルティン(St. Martin de Tours)、リモージュのサン・マルシアル(St.Martial du Limoges,1095年完成)、コンクのセント・フォア(Ste. Foy)、トゥールーズのサン・セルナン(St. Sernin,1075年着工)と類を同じくし 、サンティヤゴがはるかブルゴーニュのクリューニーから入ったことがわかるのである 。
カテドラルの完成は1128年頃とされるが、実際この影響が北西スペインに現れるのは12世紀のそれも中頃をすぎてからである。この意味ではサンティヤゴは孤立した新文化の出島として長い間おかれたわけである。それというのも、この頃のガリシア地方やアストゥリアス地方といえば、まだ農耕を主体とした辺境の地であり、ひとつの“派”を生み得るほどの地盤がなく、むろん発展させるための受け入れ体勢がなかったからである。
後のサンティヤゴ派はルーゴのカテドラル(lugo,1177年奉納、建築家はRaimundo de Monforteとその息子)、オレンセのカテドラル(Orense,奉納は1194年、完成1248年)、トウイのカテドラル(Tuy,1232年奉納)、コインブラのカテドラル(Coimbra,1140〜1175年)、リスボンのカテドラル(Lisboa,12世紀後半、13世紀)、イボラのカテドラル(Évora,12世紀後半〜13世紀)などがある。
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