ポルトガルのマヌエリーノ様式/Manuelino


シントラ宮、インテリア
このようにイタリアではすでにミケランジェロのような傑物によって新しい時代精神がかたちとして表現されていた16世紀に至っても、スペインではゴシックがもてはやされるが、ポルトガルではイサベリーノよりもされに遅れた後期ゴシックの一派がある。
それはドールスによって半島のバロッキズムの初端としてとらえられたほどに、バロック的反秩序を示す、ポルトガルの最初の独自な様式マヌエル様式、またはマヌエリーノである 。
イサベリーノがイサベル風の、というのと同様にマヌエリーノはマヌエル風の意であり、金持王マヌエルI世(1495〜1521年)下につくられた時代様式で、マヌエルはバスコ・ダ・ガマをインドへ送り(1498年)、アルバレス・カブラルをブラジル(1500年)へ送ったまさしくポルトガル黄金時代に在位した王である。
またその特質は、構造が萎え、装飾ばかりがみだらな財力に支えられて支配し、その海外遠征時代を象徴して、風にゆらいだ焔、鎖、なわの結び目、舷窓の蓋、海人、波濤、さんご、海草といった海洋をテーマとして好んだ。建設例も多く、マヌエル王自身の王室シントラの宮殿(Paço Real, Sintra)の増築があるが、これは1496年の王のスペインへの旅との関係に、アンダルシアの回教徒美術への接近を示しているが、この様式をよりよく示しているのはバターリャ修道院(Batalha)とトマールの修道院(Tomar)であろう。

シントラ宮
1971年7月21日撮影

2002年12月31日撮影

シントラ宮から町を眺める
1992年3月撮影

模型がありました。
1979年6月撮影

1991年1月撮影

シントラの村
2002年12月31日撮影

王宮 Palácio Nacional
シントラ観光の起点ともいえるところで、駅から坂道を700mほど上がったところにある。アイスクリーム・コーンを逆さまにしたような、2本の巨大な煙突が目印。14世紀にジョアン一世が王家の夏の離宮として建てたのが始まり。王宮はその後、度重なる増改築にあっているが、その中でも16世紀にマヌエル一世が増築した正面向かって右端の部分(外観で窓のデザインの違いでよくわかる)が、いちばん充実している。スペインのアルハンブラ宮をしのぐ美しさにするために、増改築をおこなったといわれる。内部は半島に入ったアラブ人たちが持ち込んだイスパノ・アラブ風のレリーフのついた幾何学模様のタイルが壁の下部に貼られ、極彩色に塗られた組天井、モザイクがはめ込まれた床、彫刻入りの窓や入口といった当時の華麗な装飾と家具、調度品が宮内を歩くものに遠くマヌエル王の富力を思い起こさせる。
ブルーガイド・ワールド ポルトガル
66〜67ページより