第九章バロック/Francisco de Mora

ウナムーノは「エスコリアル宮は石できざまれたフェリペII世の兄弟である」という。確かに現在もエスコリアルを見下ろせる南西高台に残るフェリペの椅子というのが残っており、21年間という建設中、わが子の育つのを見守るかのようにしていたフェリペの姿が目に見えるようである。「彼は常に自ずの心境を他人に見せることはなかったが、第三の妻の死とエスコリアル宮の完成時には喜哀の情を見せた」といわれる。
ところが、モニュメンタリズムという意味ではこのカスティージャの地でエスコリアル修道宮は受け入れられたのかもしれないが、無表情で、衒いを嫌ったという意味ではエレラ様式は独裁的であるばかりに、影響力はごく限られていた。
例えばエレア自身がその遺言で、フェリペに自分の後継者としている唯一の建築家フランシスコ・デ・モラ(Francisco de Mora)ですら、エレラの没後には絵画的な、そして形態の解放へとむかってしまうのである。彼のレルマ市(Lerma,1604〜1614年)計画はレルマ公爵の居城を近代化することと、6つの僧院を含む都市計画であるが、モラはここでプラサ・マヨールを中心として3つの僧院とひとつの教会と居城とを単一な廊下で連結させるという明らかなエスコリアル宮のコンセプトを受け継いでいるにもかかわらず、エレラの求めた厳格さを完全に失っているのである。



Lerma
1978年撮影
1978年頃はよかったですね。この開発の一大原因となったのはここにパラドールができたからです。


これがそのパラドールです。
2008年8月23日撮影

2008年8月23日撮影

■モーラ、フランシスコ・デ
Francisco de Mora
生:クエンカ/不詳 没:マドリッド/1610年
 スペインの建。ファン・デ・エレーラ*の弟子であるが、師の厳格なスタイルからより自由でピクチャレスクな作風で、師とは相反した作品をつくるに至っている。代表作はセゴビアのアルカサールの内装(Alcázar, Segovia, 1587年)、サン・イルデフォンソ教会(San Ildefonso, 1592年以降)、1602年以降はレルマ公爵のためのレルマ市(Lerma, ブルゴス県)の都市計画、1606年にはサラメア(バダホス県)にサント・クリスト教会(Sant Cristo, Zalamea, Badajoz)と病院の建設が始められた。
三交社刊『建築家人名事典』より