プラサ・マヨール/Plaza Mayor


マドリッドのプラサ・マヨール。市役所として割り当てられたファサード
ゴメス・デ・モラはフェリペIII世からマドリーに広場の建設を依頼される。その広場というのは王がバジャドリーに暮らすうちで、ことのほか気に入ったもので、プラサ・マヨール(最大の広場という意)と呼ばれるものである。
フェリペII世によって計画されたバジャドリーのプラサ・マヨールは合理主義者にふさわしく、直角四辺形のプランを持ち、それを画一的なデザインの不燃建造物で四囲をめぐらし、最下階がアーチによってガレリーを持つというものであった。
ここでは王の会見がとりおこなわれ、闘牛があり、村祭りがあり、宗教裁判やら宗教行事が催され、時には市さえ立つという、多目的な都市コアとなっていた。平時はこの周囲の建物に住民を住まわせ、催しのある時には2万4千人の観衆をそのバルコニーに収めたのであった。
この建設は1562年10月9日に発令されているが、後の73年にはプラサに面して市役所が建てられ 、この種のプラサ・マヨールの典型となってゆくのである。
フェリペIII世は、にわかに首都として重要性を増してきたマドリー に、この社会生活の中心ともいうべき、お気に入りのプラサ・マヨールの建設を命じた。この敷地にはすでにアラバル広場というものがあったのだが、木造で、それもほとんどが肉屋というような食品店が並んでいたため見苦しく、汚ならしくもあったため、首都にふさわしいプラサに再建することにしたのであった。
ゴメス・デ・モラによって建設された広場は1X√2の方形のプランを持ち、壁面は均一なデザイン、下階はアーチによるアーケードがつくられ、5万人収容のバルコニーをつけ、4千人を住まわせた。
1720年に祭りとともに完成を祝われたこのプラサ・マヨール自体の持つ意味は、建設の中心課題が、地方大貴族や司教の手から、国家、民衆の方へと移行していったことを示しているが、その社会変動を実証するかのように、スペイン中に、このプラサ・マヨールの建設は広がってゆくのであった。
183ページより


旧市庁舎があった部分は最近フレスコ画が描かれました。

アーケードは店舗やレストランがずらりと並んでいるのですが・・・・。
今もこれは誰が買うのだろうかという疑問を持たされるものがショーウインドーには飾られています。

大道芸人でにぎあう今のプラサ・マヨール

写真屋さん

動く彫刻?これはAntonio Lopezを思い出しますね。

1972年のマドリッドでよく見られた街角の風景
マヨール広場(Plaza Mayor)は、プエルタ・デル・ソルの南西端のマヨール通り(Calle Mayor)を西に約二〇〇メートル行ったところ。縦94メートル、幅一二二メートルの広場を、17世紀の風の4階建ての建物がぐるりと囲み、四方の四七七の窓はバルコニーで結ばれている。
このバルコニーからは、かつて闘牛、宗教裁判の火あぶりの刑のほかさまざまなお祭りの行事も見物できた。なかでも北側のCasa de la Panaderíaのバルコニーは王室専用席であったとか。17世紀初期以来、3回も火災にあい、現在の形になったのは一九五三年で、9箇所あるアーチ形の出入り口のなかでも南西隅のクチジェーロスのアーチ(Arco de Cuchilleros)がいちばん趣がある。広場中央の像は、広場創設者フェリーペ三世。また、1階の回廊では毎週日曜日の午前中、恒例の切手、古銭市が開かれる。
実業之日本社刊『スペインの旅』初版本より
39ページ
実業之日本社のHPです
http://www.j-n.co.jp/

日曜日の恒例の切手、コイン市


実はこのプラサ・マヨール周辺には名物が色々あって、クジェーロスのアーチをくぐれば酒場があったり、ヘミングウエイも通ったというスペイン1古いとかいうレストランもあります。B級グルメで筆頭なのが、この店でイカを揚げてこれをパンに挟んだBocadilloこれが、まだ生きていました。実はこれはまだ食べるチャンスがないのですが、次回マドリッドへ行ったときには是非といつも思っています。

というわけでイカのテンプラサンドであるBocadillo de Calamaresはまだ食べたことはないのですが、このイカリング揚げはやはりスペインの前菜、タパスの定番ですね。

ところでPlaza MayorはValaldolidに始まり、マドリッドのそれで完成しスペイン中このタイポロジーの広場ができたわけなのですが、ずっとポピュラーな広場もできて今に残っています。

Almagroのマヨール広場 今の姿になったのは16世紀 
1987年1月撮影

Chinchónのマヨール広場 15世紀に建設が始まり、17世紀になって今のようなクローズされた形になる
1976年7月撮影

Temblequeのマヨール広場 17世紀バロック期の建設。広場に面する市庁舎は1654年建設
1976年7月撮影

Atienzaの定期市広場

Ainza
1978年5月撮影