アランフェス/Aranjuez

ファン・バウティスタによって設計され、エレラによって引き継がれたアランフェスの王宮(Aranjuez)もブルボン期に大幅な改装が加えられ、フェリペの子カルロスIII世(在位1759〜1788年)の時にはサバティーニによって翼廊が張り出されたり(1772〜1777年)したが、教会や大衆に人気のなかったフランス様式をここでは国民様式に組み入れようという努力がみられる。

アランフェス宮
フェリッペⅡ世により王室の管理地として選ばれて以来、歴代の王によって建築された。現在はユネスコから人類の遺産として指定されている。

Plaza de Parejasに面したアーケード

アランフェス宮内の農夫の家
1997年6月撮影

サバティーニ、フランチェスコ
Francesco Sabatini
生:パレルモ/1721年 没:マドリッド/1797年
 イタリアの建。ローマで学ぶ。ルイジ・ヴァンヴィテッリ*の娘婿で、彼とはカゼルタの王宮で仕事をしている(Palazzo Reale, Caserta, 1752〜74年)。ナポリ王国ドン・カルロス王がスペイン国王カルロス3世(在位1759〜88年)の座につくとマドリッドへ呼ばれ、1760年王室建築家となる。初期には未完の王室関係の工事を完成させる仕事を担当していたが、そのうちマドリッド王宮の建築に参加し、ここで大階段を実現させている。またサン・フランシスコ・エル・グランデ教会(San Francisco el Grande, 1776〜85年)、総合病院、アランフェスの王宮の2翼(Aranjuez)などの建設にも参加している。自らの作品としては、マドリッドのアルカラの門(Puerta de Alcalá, 1774〜78年)、税関(1778年, 現在の経済省)、バジャドリッドのサンタ・アナ修道院付属教会(Santa Ana, Valladolid)、大臣公邸(現スペイン民族博物館)、トレドの兵器工場、サレーサス・レアーレスのフェルナンド6世の墓(Salesas Reales)などがある。
三交社刊『建築家人名事典』より

王宮 Palacio Real
正面玄関は西側の広場から入った門内の突きあたりで、五つのアーチの上はバルコニー。頂から見下ろす石像は創設者のフェリーペ二世(16世紀後半)、継承者のフェリーペ五世(18世紀前半)、そして完成者のフェルナンド六世(18世紀中期)と、正面の建物建設にとくに尽力した王たちである。両翼の建物はカルロス三世のとき、サバティーニ(Sabatini)の設計で増築されたもので、その建設期(一七七二〜七七年)が碑石に刻まれている。イサベル二世のとき、一八五一年に近くの駅から引いたスペイン第二の鉄道が右翼建物内へ銀製のレールで入り、王宮内に通じていたという。それ以前のマドリッドアランフエス間を4〜5時間で走っていた馬車が、博物館内に収められている。
王宮見学は正面玄関からで、入って左手に切符売りがある。ガイドのスペイン語説明つきで正面の階段からあがって、中庭を中心に27の部屋を見て回るが、その他に1階右手の奥にカトリック王イサベル・フェルナンドにはじまる歴代王室の衣裳博物館(Museo de Traje)がある。写真撮影は有料。撮影しないときはカメラを預けること。
実業之日本社刊『スペインの旅』より


2011年7月3日撮影