マドリッドの状況

同時期のマドリーでは“グルーポR”のような明確な建築運動が起こらず、アレハンドロ・デ・ラ・ソタ(Alejandro de la Sota,1913年〜1996年)、サエンス・デ・オイサ(Francisco Javier Sáenz de Oiza,1919年〜2000年)、フェルナンデス・アルバ(Antonio Fernández Alba,1927年〜 )といった単発的努力が重ねられ、60年代のフェルナンド・イゲーラス(Fernándo Higueras,1930年〜2008年)のような鬼才が登場し、作品からいえば、オイサの“白い塔”(1962〜1967年)に代表されるだろう。
フェルナンデス・アルバはフィザックのコンクリートの作品、オイサの“白い塔”、イゲーラスの国立芸術文化会館を《折衷主義的表現主義の作品》と呼んでいるが、その表現はあるいはスペイン建築史全般にわたっていえることかもしれない。
アレハンドロ・デ・ラ・ソタの県庁舎, Tarragona (1956-1963)

スペインではこの時代の名作のひとつに数えられています。今見てもやはり、素晴らしい、色が褪せない名建築でしょうか。2度ほど大きな修復、改装をしていますが、照明が組み込まれた天井もデザインされていて、これがこの工事を非常に難しいものにしているようです。

フランシスコ・サエンス・デ・オイサのビルバオ銀行、Madrid(1971-1981)

1977年10月撮影

1978年撮影

1980年7月撮影


左奥がMinoru Yamasakiのピカソのタワー

マドリッドのメインストリートであるカステジャ−ナは更に北側に伸びています。ビルバオ銀行の奥にはフィリップ・ジョンソンの内側に倒れたツインタワー、さらにその奥には4本の高層のタワーが建っています。
2011年7月3日撮影
フランシスコ・サエンス・デ・オイサの白い塔、Madrid(1964-1969)

1971年撮影

2004年7月16日撮影

2004年7月16日撮影

2006年4月10日撮影
フランシスコ・サエンス・デ・オイサのサンタンデールのフェスティバル・ホール、Santander(1991)


オイサはモネオの先生に当たる人ですが、コデルクと違い非常に気さくな人柄で、白い塔に住んでいた頃に訪ねたことがあります。ビルバオ銀行の本社ビルを建てたばかりで、素晴らしく単純なファサードのデザインを作った時のスケッチを見せてもらったのを覚えています。
その時は3本のカートリッジに入ったスライドを、説明を聞きながら見せてもらったのですが、こちらはオイサの特集号を雑誌で作ろうというたくらみだったのでメモを取りながら話に聞き入ったのですが、結局彼からはその後資料を何も貰えないままに他界されてしまいました。晩年のサンタンデールの作品などはまさしくポスト・モダンですが、近い将来、本当は誰がデザインしたのか調べてくれることでしょう。