サン・パウ・デル・カンプ, Sant Pau del Camp Part 1

サン・パウとロマネスク

バルセロナを最もよく物語る通りの一つ、ラスランブラ通りからサン・パウ通りに入ると、ここがバリオ・チーノ(現在ではこの汚名を拭うためにラバル地区と呼ばれる)、中国人地区と呼ばれる一帯で、観光庁指定の旧市街ゴシック地区を表とすれば、ここは庶民や船員に人気のある裏となる。ハンブルグアムステルダムと並んでその名を知られているバルセロナの特別地域がそこにある。またそこは歓楽街というばかりではなく、最も安いペンションやバー、安いだけが取り柄のお土産屋が軒を並べ飾り気のない庶民生活と混在している。ヨーロッパから入った人は、ここにその末端あるいは異国をどんなにか感ずることだろう。
サン・パウ通りを下って旧市街をほとんど出たところに少し大きな空間がある。細い通りにはみ出した商品を載せた箱、行きかう人々のニンイクと汗の臭い、それをかき分けて進む車、なかば崩れたモルタルの壁を拭うような濡れた洗濯物に見飽きれていると、ぽっかり何か不釣合な空間がある。そしてその中にこじんまりとした教会がある。それがカタロニア・ロマネスクと呼ばれる様式のひとつを形成するサン・パウ・デル・カンプ(Sant Pau del Camp)ロマネスク教会である。
サン・パウ・デル・カンプは915年頃あるいはそれ以前からあったとされている。現在市内に残る五つのロマネスク教会のうち、もっとも完全に今に姿を伝えているものである。また西ゴート族の装飾エレメントを主正面入り口と柱頭に、回教風の裂葉状アーチを回廊に留めていることで注目される。確かな記録はなんら残っていない。10世紀から12世紀にかけて回教徒の大火災や破壊行為にサン・パウ教会はほぼ崩壊し、その後1117年ギルベルト・ギダルト・イ・ロシャンディス「Guilbert Guitard i Rollandis」によって新しい修道院の設置がなされた。現存するのは12世紀のもので、回廊は13世紀、僧侶室と修道院長室(現在の僧長室)は14世紀、トランスプトの円蓋はその後の16世紀のものである。構成はギリシャ十字、トランセプト交叉部に基部八角形の円蓋を持つ三身廊形式、ロンバルディア風のアーチ、ファサードはそれ以前の建造物に由来するものと思われる彫刻的エレメントを今に伝えている。

Part 2へ続く
A+U
1974年4月号より

サン・パウ・デル・カンプ教会
1973年撮影

正面ファサード入口

このアーチに取り付く彫刻



カタルーニャ・ロマネスクについては4月25日
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110425/1303740334
にあります。