モデルニスモ Part 47 ガウディの協働者

ドメネク・スグラーニェス(Domènec Sugrañes i Gras,1873〜1935年)も非常に早い時期からのガウディの協力者であって,1900年と1902年の間のベジェスグアルドの門の鉄細工および塀を手がけ,またサグラダ・ファミリア教会の師の死後キンタナ(Francesc de Paula Quintana i Vidal、1892〜1962年)と共に建設を铳行した一人であった。
ほかにコロニア・グエイとカサ・ミラに協同したジョセップ・カナレタ(Josep Canaleta, 1875〜1950年),あるいはガウディの友人でもあったブエナベントゥーラ・コニル(Buenaventura Cunill)は論理派の美学者である。そして現在聖家族教会の建設を続行しているボネット・ガリ(Lluís Bonet i Garí, 1893〜1993年) ,そしてプーチ・イ・ボアダ(Isidre Puig i Boada, 1891〜1987年)といった建築家が,御光栄の門の建設を急いでいる。


よく言われるが,現代のカタルーニャのあるいはスペインの建築家・芸術家が今もガウディを食っているという。確かに「白い塔」のサェンス・デ・オイサや「ニカラグア通99番地の家」のボフィール,「カタルーニャ銀行」のファルガス+トウスといい,画家タピストリー職人のグラウ・ガリーガ、また彫刻家スビラックスの中にガウディを見出すのは容易であろう。しかし逆にアルハンブラ宫,コルドパのメスキ—タ,プラテレスコ,チユリゲレスコ,エレラ様式といったものを生み出したスペインの,その氷山の一角としてガウディをとらえるならば,彼らはその伝統を継承しているにすぎない。しかし何という新鮮な感覚的な伝統だろう。

ベジェスグアルド邸の門扉

サグラダ・ファミリア

ガウディ没年1926年の写真

コロニア・グエイの教会

建設中の写真がプーチによって発見された

カサ・ミラ

プーチ・イ・ボアダとボネット・イ・ガリ

写真嫌いのプーチ(左)がくれたニューヨ−クタイムスに掲載された写真 場所はサグラダ・ファミリアの設計室 模型と図面でいっぱいだった

ガウディ周辺
A+U 1974年5月号より