ビジャールの後任としてガウディが

ボカベージャは建設委貝会の一員であり、友人でもあるマルトレイにこれを相談するのであった。マルトレイはプロジェクトがスタートした当初、無償で計画案を提供したが、実際にプロジェクトがスタートしてからは当然のように設計料を請求した、この事件は裁判沙汰にまで発展している。
もうひとつのビジャールとボガベージャの仲たがいのきっかけをつくった一つの原因はマルトレイ自身で、ビィジャールの技術的疑問をボカベージャに示したことから始まったといわれるから、ビジャールが去ってしまった後、後任の建築家を見つけ出す責任のようなものがマルトレイには実はあつたのだ。
ここでマルトレイはガウディの名を出すのであった。ほとんど世間的には無名な、しかも31歳という若い建破家であった。1883年11月3日、正式な建築家としての契約が教会の建設委員会と取り交わされ、ガウディはサグラダ・ファミリア教会建築家となるのであるが、果たして誰が、その生涯を掛けた作品となることを想像し得ただろうか、いやガウディ自身にすらそれは分かり得なかったであろう。彼はまだ教会を罵るような連中が集まるカフェ・ペラヨに出入りしていたころである。

ガウディが建設を受け継いだ頃のサグラダ・ファミリア地下聖堂の状況

カフェ・ペラヨがあった建物の現代の様子