カサ・ミラーボスト・モダンの標石 Part 2

「この建物の建設規模は,約34x56メートル,面積1800平方メートル,しかも角地で,8層プラス地下1層というガウディの作品中ではこれまでにないものである。
しかし,このガウディが迎えた黄金期における彼が成し得た個性に対して,ヨーロッパやアメリカでは新たな傾向が,しかも後に支配的な傾向というものが推進されていた。ワーグナーのウィーン郵便貯金銀行(1900〜06年)はカサ・バトリョと時を同じくしているし,ペレのボンテュ街の車庫完成はやはり1906年である。そしてライトはラーキン・ビルに次いでオーク・パークにユニティ教会を,また翌年のヨーロッパでは「ドイツ工作連盟」の展開と続いている。
これらはバルセローナという地理的条件や,スペインの混沌とした政治体制による弧立以上にこの力サ・ミラやその他のガウディの魅力的な作品への評価を遅らせてしまったのは周知の通りである。だが,現時点つまりポスト・モダンからみれば,カサ・ミラやガウディの作品はもっと我々に魅力的に甦ってくるのではないだろうか。かのコルピュジェですら,1957年に寄せた,ホアキン.ゴミスの写真集「ガウディ」のブロローダで,ガウディの建築を指しながら,「建築とは個性のたまものである。まさしくそれだ。ひとつの個性の表明なのだ。」と書いているが、彼自身もその年にトウーレットの修道院を完成させており,その少し前にはあのロンシャンの礼拝堂を設計し,直線の美、技術至上主義への便宜法をかなぐり捨てているではないか。ガウディへのこの数年来の建築家をはじめとするさまざまな芸術家や文化人の持つ関心とは,この意味で決して無駄ではない。それどころか,何らかの解决すら我々に与えてくれる可能性すらあるのではないか。こういったところで,カサ・ミラをもう一度再検討してみようではないか。

続く
A+U
1979年5月号より