コルビュジェも同じことを考えた

また、ル・コルビュジェはゴミス=プラッツの写真集“ガウディ”に寄せた序文にこう書いている。「1928年、ジュネーブ国際連盟会館のコンペの最中であった。建築についてのレクチャーをするためにマドリッドの大学に呼ばれた。マドリッドでは差出人がホセ・ルイス・セルトとある1通の電報を受け取った。それによればマドリッドからポー・ボウへ行く途中、夜10時にバルセロナの駅に寄って、一刻の余裕もなく町のどこかで講演をせよというものであった。バルセロナの駅では、5,6人の若者が私を迎えてくれた。皆背丈はないが活気に満ち、エネルギーに溢れているようであった。レクチャーをした。即席のものである。我々は翌日シッチェスへ行った。街道でひとつのモダンな家が私の注意を引いた。ガウディである。」
シッチェスへの街道にあるモダンな家とはもちろんボデーガ・デ・ガラーフを指すが、この巨匠の目にはガウディ以外の何物でもなかったのである。この稿が書かれたのはガウディの作品との出会いから29年後の1957年10月30日のことであり、単なる思い違いでもなかろうし、しかもこのときセルトという同行者と一緒にシッチェスへ行っているから誤解でもないだろう。


ル・コンルビュジェが28年に来た時に残したスケッチは57年に出版された