Part 4 2つの案

各フロアは4分されるが,各戸は街路面と内パティオ両方のファサ一ドを持つように考えられていて,やはり大邸宅を積み上げようという構想を捨てず,またそれをエレべーションからも考へているのである。しかし,このことにもう少し正確な解釈をつけ加えるとするならば,各戸に最低2方向の開口部を設定することで,換気,採光という衛生問題を処理させているのである。この意味では彼の健康住宅に対する構想が破られてはいない。例えば先のカサ・バトリョにしろ,現在塞がれてしまったとはいえ,パティオからファサードへは数本の埋め込まれたパイブが通っていて,パティオの換気に助力していたし,ファサ一ド下部には地階の換気,採光のための小窓が開けられていた。これの方も後の改装にあつたのだが,実のところ街路からパティオへ新鮮な空気が送り込め得ないという,現在我々が生きている大都市環境の痛ましい現状がある。ガウディ個人のこの当時のグエル公園への引越しも,実は父の健康を思ってのことで,個人的な都市住宅の悩みがカサ・バトリョカサ・ミラと反影しているのだが,それから70年後の今日の状況は更に痛ましいものである。
第2のブロジェクトへ話を戻せば,このプロジェクトが1906年2月に市へ,認可申請のために提出されたものである。加えて説明するとすれば,ここにもパティオの内側を走る自動車用のスロープが,階段という形で保持され,補助階段はあるが,エレヴェータはない。各戸は20前後の大小の室に区切られ,いずれも角を削られていて,あたかもケルトの集落のようである。各フラットは4分されているため(ただし主階のミラ邸フラットは2分)敷地面積1800平方メートルからパティオ面積300平方メ—トルをとると建築面積は1500平方メートル,それを4分すれば1戸分の床面積は400平方メートルということになる。まさに大邸宅である。

建築申請用の図面

続く

A+U

1979年5月号より