一人の証人

もうひとり、ボデーガ・デ・ガラーフで生まれたという人がいる。彼は管理人の息子で、その父親というのはグエイ家のスックス(Sucs, レイダ県)にある別荘の雇用人の一人であったのだが、何らかの理由でガラーフに来て、そこでボデーガの建設に立ち会ったのである。息子である、現在の管理人は無論このころにはまだ生まれていなかったのだが、子供のころから聞かされた話では、ここにしばしばガウディが訪れたという。それも現場監理のためである。無論こういった話には勘違いも、誇張もあるかもしれないが、それを否定するようなひとつの話がある。それは父親がよく来る建築家に「下着を着けていないのに、そんな石の上に座って、冷えるのではないか」と聞いたことである。ガウディは事実その不自由な独身生活のためにパンツをはかなかったのだが、作り話や思い違いでどうしてこのようなよほどガウディ通でもなければならない細かなことを知っているのだろうか。ましてや人違いではない。
それにしてもベレンゲール自身、先に見たように建築の技術的な講義も受けず退学しているのだ。しかもこのボデーガ・デ・ガラーフの建設は1888年ころとされているのである。そうだとすれば22歳で建築学校を飛び出した時のことであるから、更に妙といえば妙ではないだろうか。しかもその後のボデーガに匹敵されるような傑作がベレンゲールにはない。もっとも年代には少々の疑問もあり、一説では1900年から1904年
ごろであるとされ、1899年にグエイによって書かれた小冊子Abastecimiento de Agua de Barcelona(これはグエイのガラーフからバルセロナに給水しようという計画を記したものである)にこの別荘のことが出ているので、この時には既に完成していたのかもしれない。


グエイの孫とボデーガで生まれたホアキン