ガウディとベレンゲール

ところでその後ボデーガ・デ・ガラーフの建物らしいものが書かれた図面がシッチェスの市役所で1枚だけ発見されている。それはサイトプランのようなもので現存の平面とは一致しないのだが、これには27キロメートル地点(住所番地がない場合、街道のポイント、この場合ならバルセロナからの距離を使うことがよくある)とはっきり書かれているので、これはボデーガ・デ・ガラーフの敷地であることは明解である。しかもそこには1895年の日付と、何よりもガウディのサインが書きこまれている。
しかも、もうひとつガウディが設計したとされるプロジェクトがガラーフにはある。こちらの方は狩猟小屋計画として記録されているが、これとボデーガの関係も実は分かっていない。
この一枚の不完全な図面だけでガウディの作とするのは危険なことだが、これまで信じられてきたベレンゲール作説への決定的な疑問が生まれてきたのは確かである・そしてガウディとベレンゲールの共同設計ということも当然考えられることになってきた。
ガウディにしろ、ボデーガ・デ・ガラーフをベレンゲール設計と言うだけの個人的な理由というのがベレンゲールとの間にあったのではないだろうか。同郷人、父は恩師、サグラダ・ファミリアやコロニア・グエイ教会での協同、そして生計を立てるための建築学校からの退学というベレンゲールであればこれもおかしくはない。