ベジェスグアルドの時代

1900年のパリ万国博覧会はまさにアール・ヌーヴォー礼賛一色であった。無論スペインの中央へより、パリへと目が向いているカタロニアでこの動きがなかったわけではない。1898年米西戦争の敗北に中南米諸植民地を失ったスペインは、悲観的に伝統的ロマンテイシズムを超越しようという試みである"98年代の世代"を生んでいたにもかかわらず、カタロニアでは経済的幸運とに結び付いたモデルニスモがむしろ楽親的に進められていたのである。1892年、1893年、1894年、1987年にはモデルニスモ祭が開かれ、1896年にはピカソやノネイらの首媒したパリの黒猫をまねた"四匹の猫"のサロンが開かれた。建築においてもドメネク・イ・モンタネルゃブーチ・イ・カダファルクらによって奔放な線と色彩がオーナメントに導入されていったのであった。
しかし建築におけるモデルニスモの成熟期は1900年をずっと後になってからであり、ベジェスグアルド邸と同様、終生ゴシック様式へのセンティメンタリズムを捨てようとはしなかったのはモデルニスモの特色である。

Ronda Sant Pere, 161

Casas Rocamora, Bassegoda, 1918年, Passeig de Gràcia, 6-12


Casaen Plaza Lesseps

Diputació, 246

Casa China, Muntaner