3. 解決の可能性

幼少のセルダにとってはいかにバルセロナマドリッドでの都市生活が煩わしい、また苦しいものであったかは想像がつく。ところがその反面、セルダは都市生活を窮地に追いやった産業革命蒸気機関に対しては必ずしも悲観的ではなかったばかりか、蒸気機関の応用は人間の歴史の新しいエポックの週末とその始まりの原動力であると言っているように楽観的なものである。ちょうど1855年、垂直シリンダー式の凝縮器のない蒸気機関が完成、それは、たとえばセルだが1835年マドリッドの道路工学校への入学のために必要であった旅程が1週間であったのを、34年後の1869年の鉄道の開通で21時間35分に短縮することを可能にしたのである。
なお、現在は特急で8時間ぐらいなので百年以上たったのに大きな変化はない。(2011年12月現在では新幹線AVEで最短2時間30分になった)もっとも飛行機というのは別である、さらにこの鉄道というのは旅程を短縮や快適さを提供したばかりか、運搬量の上でも飛躍的な進歩であった。つまり駅馬車がせいぜい12人の乗客なのに鉄道は1870年頃には240にい前後を乗せて走っていた。実に20倍である。積載量からすれば、牛が引くのが約460キロであるのに対し、24のワゴンを引っ張り300倍以上である。
彼は明らかに蒸気機関、あるいは機械文明に対しての将来の発展を見抜き、さらにはそれを都市計画の中へと導入しようと考えたのである。

A+U 1976年11月より

続く