ラ・ペドレラの模型

打ち寄せる波に洗い流されたような彫塑的なファサードは、このように、概念的には力ーテン・ウォールという現代建築では当たり前のようになったシステムの先駆的なものであるが、その建設法とデザインの决定には、ガウディならではの特異な方法によって生み出されている。ガウディは既にこのころ図面というものを重視しなかったのは既に述べた通りである。もともと学校での講義からというよりは様々な設計事務所を渡り歩くという経験主義的な方法で建築を学んでいるのがガウディだ。そこには父親譲りの手工芸的な手法を見いだすことができるのであるが、いったいラ・ペドレラのような巨大な作品を、この手法を存統しながらどうやって完成させることができたのかを見てみることにしよう。
ガウディは十分の一の石膏模型をラ・ベドレラの地階につくっていた。サグラダ・ファミリア教会と同じ方法である。つまりこの模型で形態的な決定をしていたのである。それは二次元の図面というものより、更に確実な方法であるのは言うまでもないが、それ以上に凄まじいガウディの方法とは、模型から建設への移行のプロセスである。というのも一般には模型はあくまで“主”である図面に対して、“従”という考へ方があり、模型は図面の確認のためとか。あるいは図面を読むことのできない施主等のための商品見本、それに最近では時に自らの露出症のために、出版物や展示のための樓型製作があるが、いずれにしろせいぜい模型をつくったあとで、それともつくりつつそれを図面化していくといつた方法、つまり図面の正当化ということに模型の位置付けをしているのではないだろうか。
ガウディはそうではなかった。ラ・ペドレラの図面はガウディにとってスケッチであり、社会的制約に対する妥協なのである。というのも地階につくつた模型をガウディは図面化することなく直接石工に見せ、それを十倍にさせたのである。しかもそのうえ石材は大まかな形状の通択をして、目地面だけを仕上げさせただけで積み上げて、その後全体との調子を見ながら更にファサードを削らせ、形想の最終的な決定をしたのである。この方法つまりデスク・スタディと現場監理の一体化こそガウディが設計のプロセスで最重要視したものであり、1910年以降、サグラダ・ファミリア教会へ泊まり込んで建築するのもそのためである。

地下に作られていた模型