ラ・ペドレラの協同者

構造家であり施工を担当したバヨ(Jaume Bayó Font, 1873〜1961年)、それにカナレータ(Josep Canaleta i Cuadras, 1875〜1950年)はパティオの床を鉄骨の円輪で支えることを実現させたし、ジュジョール(Josep Maria Pujol i Gibert, 1879〜1949年。ガウディの鉄細工のスケッチを現寸に延ばし、インテリアの波打つ曲線の天井の監理をし、そこに次のような言葉も刻ませた。『おお、聖母よ、汝、花々、星のごとく過小なること痛ましくなん』
ルビオ (Joan Rubió i Bellver, 1870〜1952年)はオーガナイザーとして働き、石材をバルセロナの南部、ビラフランカから探し当てたし、ニエト・イ・ニエト(Enric Nieto i Nieto, 1891〜1954年)、スグラーニェス(Domènec Sugrañes i Gras, 1878〜1938年)またマニ( Carles Mani, 1866〜1911年)、マタマラ(Llorenç Matamala i Piñol, 1856〜1925年)という彫刻家、アブストラクトな天井画を描いたパスクアル(Ivo Pasqual, 1883〜1949年)、クラペス(Aleix Clapés, 1850〜1920年)、ノゲス(Xavier Nogués, 1873〜1940年)などがいた。

マタマラ

ジュジョール

スグラーニェス