建築コンペ

また翌年の1911年にはマドリッドのある美術雑誌主催のもとに建築のコンぺが催されたのだが、これに当時の学生たちの與昧とその傾向が明確に浮かび上がっている。コンぺのテーマはマドリッド近郊のグァダラーマ山系中の山小屋で、1921年5月の同雑誌の審査結果発表によれば、15案以上の参加作品があり、三案が入選、二案が佳作に選ばれている。審査員はマドリッドの建築家たちで,5案のうち2案がバルセロナの学生に対して与えられた。興味深いのはこの2案つまり2等のフェルナンド・タラゴと特に佳作のラモン・プーチ・イ・ガイラルトRamón Puig i Gairalt(1886〜1936年)のプロジェクトである。というのも二案ともパラボラ・アーチを使って明確にガウディの影響が見られるのである。今日から見て最も優れた作であると思われるプーチ・イ・ガイラルトのそれは、アーチのほか大胆な石の使い方、屋根の曲線、グエイ館やラ・ベドレラからインスビレーションを得た煙突が見られるほか、極めてボデーガ・デ・ガラーフのコンポジションに似ているのである。
またその審査員評は次のようであった。「特に理想主義が見いだる。ひょっとしたら若い学生にありがちな誇張があるかもしれないが、そのオリジナリティに富んだブレゼンテーションにこの案は素晴らしい芸術的性格をみるのである。……ブーチ・イ・ガイラルト氏に我々が助言しますのは、貴地の幾人かの建築家への強烈な追従を切り払うことです。建物の取扱いにそれがよく現れています。
この点についてはたぶん我々のもとに敷地についての十分な情報提供がなかったことを謝らねばならないかもしれませんが。ともかくこの地に使われうる建設法ではありません。たぶんこの屋根は積雪の多い地方には適合しないでしょう。また、極めて特殊な職人を必要とする鉄筋コンクリートの使用を減らすこと。それは場所柄不適当で、実施不可能でしょうし、そうではなくても異常な工費となりましょう。プロジェクト一般はアイデアとしては素晴らしいのですが、操り返しますと実施困難であります。」
一介の市井建築家であるガウディが、次代を背負う学生たちに慕われていたこと、しかもその装飾、形態、溝造、工法ばかりか、ガウディの建築に対する理想主義までもが、その中にみられるのは興味深いことである。
建築学校のこの状況といい、パリでの個展開催といい、60に近い晩年ガウディは必ずしも仕事のうえでは不幸とはいえない。しかし父はグエイ公圃の家に移って間もなくローゼを残して死んでしまうというプライベートな面では不幸なことである。

プーチ・イ・ガイラルトの案