アール・ヌヴォーとガウディ


またその屋根を支えるれんがの間仕切壁ほどの厚さの外壁も、プランに曲線を導入させることによって必要な応力を得ている。これらはともに最小限の材料で最大限の空間を得ようというガウディの努力であり、形態の気まぐれさによって我々が受けるインスピレーションとは裏腹に,構造的には平面トラスから立体トラスへの革新と同様の飛躍がそこにある,内部はふたつの間仕切壁で、三教室に分けられているが、ともに構造壁ではないのでラ・ペドレラやカサ・デ・ ロス.・ティーネスの主階と同様、空間のフレキシビリチイが備わっている。またその粗末さは外観と同様であり、れんが打放しに、石灰が塗られただけというものである。
ガウディは晚年に弟子たちに『美と理論的構造は様式のいかんにかかわらず存在する。』と語っていたが、まさしくこの貧しい教会に付属した、貧しい学校にこそガウディの優れた才能が見いだせるのである。ガウディの作品は、グエイ館やラ・ベドレラのようなきらびやかに着飾った外被に想わされ、シュールレアリストたちにかつぎ上げられ、機能主義者たちに黙殺されてきたが、この学校やサンタ・テレサ学院のように着飾った外被がはがされたとき、はっきりと我々の前にその構造機能主義的側面が明示され、またこの学校の屋根にみられる曲線やその壁面の波打ちは、明確にアール・ヌーヴォーの装飾性とは一線を引いているのである。