図版31, 32, 33 コロニア・グエルの地下聖堂

図版31-32 Colònia Güell
コロニア・グエルの地下聖堂内部。
アントニ ・ガウディ作、1898〜1915。
ガウディに、もしグエル伯爵というよき理解者がいなかったら、ガウディはガウディとして育っていなかったろう。ガウディへ最初の建築らしい建物を依顿したのも、もちろんグエル伯爵(Eusebio Güell i Bacigalupi, 1846〜1918年)だったし、生涯を通じて最大のクライアント(施主)もグエル伯爵であった。
グエル伯は綿産業という、時代の先端で財を築いたというばかりでなく、当時の文化人や芸術家たちと接触して議論を戦わせるほどの感性を持った人物であった。伯爵の父が築き上げた工場が手狭になったため、バルセロ ナの近郊のサンタ・コロマ・デ・セルベジョに移転(1891年3月)、ここに工場をはじめ労慟者住宅、学校、カジノ、教会堂等のある産業コロニーの建設が始められた。
《教会堂、といっても間性されたのは地下聖堂だけだったが、けばけばしいほどの色彩豊かなガウディの他の作品と違って、玄武岩というしっとりとした落ち着きのある材料を柱に使い、レンガという質素な材料をリヴに使い、ダイナミックではあるが、老練の建築家がデザインするような成熟した空間を生み出している。》

図版33 Colònia Güell
コロニア・グエルの地下聖堂、正面入り口大階段。
グエル伯爵は1898年、工場移転の7 年後に教会堂の設計依頼をガウディにしている。
ガウディは工場の西、グエル氏の居館との間に広がる松林の傾斜地を選んでこの教会を設計している。しかし教会堂の起工式は、10年後の1908年10月4日のことだった。
《正面奥の白い石が教会堂への人口となるはずだったところ。右端には鐘塔らしきものが見えるが、これはガウディの没後に弟子たちによって造られた。》

名古屋デザイン博

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記

結婚式は相変わらずよくやっていますね