図版105〜107  Palau de la Música Catalana

図版105  Palau de la Música Catalana
カタルーニャ音楽堂、ギヤレリー部分。
ところが歴史とは皮肉なもので、現代になってガウディの研究書が全世界で1000種近くも発行されているというのに、ドメネクは時代の象徴的な作品を数多く残しているにもかわらず、まとまった研究書が未だ出されていない。
《正面ファサードの2階部分には小さなギヤレリーがあり、ここには列柱群がある。いずれも多彩で、まさしく当時のカタルーニャの華麗な繁栄の凝結のようだ。》

図版106・107  Palau de la Música Catalana
カタルーニァ音楽堂、1階ホールと正面ファサード見上げ。
ドメネク・イ・モンタネールの最初の作品は、モンタネール・イ・シモン出版社社屋(現在タピエス・ファンデーションとして改装工事が進んでいる)で、ガウディのビセンス邸より5年竣工の早い1880年であった。レンガ化粧積みの、どちらかといえば質素で、コンポジションも厳格で、構造さえもがファサードにむき出しの建物だ。そして1888年の万博では3つの大プロジェクを実現させている。国王を迎えるための市役所改装。そして博覧会場内では実質的に一番大きなパビリオンであるカフェレストランテ(現在動物博物館となっている)、そして関連施設として国際ホテルをランブラス通りの近くコロン通りに建てている。

《1階のエントランス・ホールの奥にはカフェ、両側の大階段を上がるとコンサー卜・ホールの平土間へと出る。更に席は上部3層に続いている。ファサードの保存状況はかなりよいのだが、リハーサル用のスペース等がなく、バルセロナの代表的現代築家オスカー・トウスケッッの手によって増築工事の竣工が急がれている。》

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記

手前がオスカー・ツゥスケッツの第2期の増築