図版 108〜114   Casa Lleó Morera

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図版 108〜110   Casa Lleó Morera
ドメネク・イ・モンタネール作
カサ・リェオ・モレーラ、ダイニング・ルームのモザイク・パネル。
カフェ=レストランテは明らかに処女作である、モンタネール・イ・シモン出版社の延長上にあり、ボイーガスにいわせれば「ベルラーのアムステルダム商券取引所より、15年も前にレンガをむき出しにした、平らな面を構成したという画期的な作品」であった。つまりドメネクの作風は次世代の機能、合理主義へと続くものであった。それに比べればガウディの作品群は、密教的な神秘主義ということができるだろう。
《世紀末はブルジョアの間でもピクニックが'盛んだった時代だ。パティオ側に位置するリェオ・モレーラ家のサロンの壁には、彼らがピクニックをする様子がザイクで描かれている。デザインはガスパー・オマール(Gaspar Homar I Mezquida、1870〜1953年〉。》

図版 111〜114   Casa Lleó Morera
カサ・リェオ・モレーラ、ダイニング・ルームのステンド・グラス。
ドメネクは建築の作家としてだけではなく、1875年には新設されたばかりのバルセロナ建築学校で地質学、鉱山学の教授を務め、翌年には同校の副校長となり、教育システムの改革案を提示する教育者でもあった。1892年には「カタルーニャ主義者連盟」(Unió Catalanista)の主事を務め、1901年から1905年までは囯会議員に選出された政治家でもあった。また1886年にはプーチ・イ・カダファルクと組んで、11年間にわたり、「美術史概観」の編慕をし、1878年の『La Renaixeca』誌第4号に「国民建築をめざして」(En la busca de una arquitectura nacional)をはじめとするセンセーショナルな論文も数多く発表している。
《ダイニング・ルームは半円形にパティオ側へ飛び出し、全面がステンド・グラスで覆われている。このコンポジションはフランスの自然主義に影響を受けた作風で、当時一番大きなステンド・グラスの工房たったリガルトとグラネィ(Antoni Rigalt I Blanch、1850〜?と、Jeroni Granell I Manresa、1867〜1931年、の共同の工房で、リガルトはドメネクとは88年の万博のカフェ=レストラ
ンテでも組んで仕事をしている)が制作している。中央にあるパネルはこの写真と“ガウディの城”展の会場内に設置されているコピーと左右が逆になっているが、これは近年ステンドの修復時に間違って逆に設置してしまったもので、会場内のコピーが正しい。》

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記

博覧会会場内でのステンドグラスの取り付け風景


給水塔 これも近年修復されて見事な形を見せています