ルビオ、ジュジョール

1904年6月19日にガウディの協力者ルビオはパルマに着き、修復工事が始められて同年12月8日に第1期工事が終了している。この時に聖歌隊席は内陣に移され、バロック風の祭壇彫刻は外され、祭壇の天蓋、説教壇などが設置された。これがほとんど修復の大筋ともいう部分であるが、ガウディはその後つまり、1905年から1914年の春まで修復工事をしている。この第二期はジュジョールの参加と数人の画家、彫刻家の介入によって色彩的な工事がなされた。
ジュジョールの優れた色彩感覚を一番よく知っていたのはガウディであり、建築学校の卒業以前にその才能をかい、ラ・ペドレラの建設時には、敷地内にあった小屋をわざわざジュジュールのためだけに設計室としてあてがっている。
マジョルカ島のカテドラル聖歌隊席も斑点と金張りによって描くという個性的な技法を使っているが、ジュジョールのこの色彩狂には次のエピソードが残っている。これはちょうどこの仕事のためにカテドラルを訪れた時のことであった。正面入り口から入ったジュジョールはその奥に浮かび上がった大理石の柱の輝きに魅せられ、とっさにそれをスケッチしようとした。ところが水の持ち合わせがない。しかしこの美しい輝きを見過ごすつもりもなかったので手近かにあった水、聖水盤の水を失敬した。それからスケッチにすっかり夢中になったジュジョールは聖水盤の中で筆を洗ってしまったから色々な絵の具が渦を巻いて聖水盤の中をぐるぐる回った。折しも僧侶がそこを通りかかったから大スキャンダルに発展してしまった。僧侶たちはこの色彩狂とガウディにカテドラルを任せたら全て極彩色にされてしまうと心配したという。案の定、アストルガのグラウ司教の場合と同じようにこれまたカンピンス司教の死とともにガウディは修復から去ってしまう。