創造とは

さて、ガウディによって手が加えられたカテドラルは、このように修復というより、むしろ改装である。しかしここでわざわざマジョルカ島の修復という言葉を使ったのは彼自身の次の言葉に対してである。
『これは改装ではありません。修復なのです。それに限定的な歴史様式あるいは時代様式的な様式のエレメントを再編成することだけでもありません。それぞれのものを、それぞれの場所に戻し、それの本来の機能に戻す意向があるのです。』
さて、ここで我々がガウディの残した、そしてよく知られた『創造とは起源にかえることである』という言葉を想起するのである。ベルゴス書き取った会話の中にもしばしばこの言葉は登場する。しかし実のところは様々なニュアンスでこの言葉は語られ、書き取られているのである。例えばパルマのカテドラルについての言は典礼機能的意味を持っているが、他にも次のように言っている。
『創造は継続なのです。造物主はその創造物ゆえに価値があります。自然の法則の新しい作品を適合させるため探求する者は創造主と協働します。模倣者は造物主と協働しないのです。それゆえに創造とは起源にかえることなのです。』
また『創造は起源にかえることです。したがって創造者というのは新しい方法によって始源的な解決法である簡潔性に戻るのです。このように創造とはサグラダ・ファミリア教会でなされたように、ヴォールトの構造的独立性からくる複雑さを、プリミティブでもっとも簡潔なバシリカに求めるこのとなのです。』『創造は起源への接近です。すべての建築は二本の定規と一本の紐で生み出されます。つまり図面に書き表され、それからプラノロイデが建設されるのです。サグラダ・ファミリア教会は図面なしで建設されたのです。』『創造とは起源に接近すること、帰還することで成り立ちます。』
また“創造”については次のように語っている。
『探求すべきではないのです。そうすれば途方もないことになりますから、普通どうされているのかを見定めることです。そしてそれを改良するのです。』