ガウディの戦場

左官,石工の数に比べて、雇われたカメラマンの雇用日数が1910年85日分、1911年年66日分というように極めて多い。それらの写真は現物が残っていないので果たしてどういう具合に建設に助力したか正確には分からないが、恐らくそれをもとにガウディはマスタープランである"ケーブル模型"に修正を加えていったのであろう。現存する"ケーブル模型"の写真を分類すれば、少なくとも三つの模型があったことになるが、建設が統行されていれば更に第四,第五のプロジェクトが作られたであろう。

『人生とは戦場なのです。戦いには力が必要で、その力とは徳なのです。』そしてガウディ以上に人生に,芸術に、建築に戦いをいどんだ人間も多くはないだろう。しかもサンタ・コロマ教会の建築から手を引かざるを得なくなった1914年以降のガウディのような・・・・・。