IV ② エリアス・トーレス+J. アントニオ・マルティーネスElias Torres+J. Antonio Martinez

エリアスは1944年生まれ。アントニオは1941年生まれ。
68年バルセロナ建築学校を卒業以降、共同して事務所を開いている。エリアスはもともとイビサ出で,島での仕事も多いが、事務所はバルセロナに持っていて、大阪花博に参加、スペインの数少ない輸出建築家のひとり。

―あなた方の仕事は考古学的な性格のものと、創造性に富んだものとがあるように思うのですが、いかがでしようか。両方の違ったタイプの仕事を、とてもうまくこなしていると思うのですが。例えば、グエイ公園の修復工事です。

それは今のところ考古学的な仕事をしているということであって、今後はわからない。いずれにしろ、建築家ですから、修復工事でも何らかの足跡を残そうとするのは当然で、我々も何かのデザインを加えていますよ。
―まあ、そういうことかもしれませんが….。いずれにしろ修復復元の仕事には、あなた方の足跡がうるさいどころか、倏復のオリジナル部分が生きてくるようなデザインを、歴史建築に加えられていらっしゃいます。
―これまで、5つほどのプロジェタトに関わってきました。以前は文化庁の建築家たちが、スペイン全土の建築モニュメント修復していたのですが、時代が変わり、それぞれの地方の建築家たちが、自分の土地のモニュメントを修復するということになりました。我々の場合もそうだったのですが、地方建築家たちは、まったく修復の経験がなかったわけで、それが逆に修復という考古学的なおもしろい新風が吹き込むのではないか、という試みだったのです。
我々が、修復計画に加わる時に確かに困ったのは、勉強材料がないことでした。わずかに、50年代のイタリア建築での経験が残されていたぐらいでした。アルビーニ、スカルパ、ガルデェッラ、BBPRらの残した仕事が参考になったぐらいでした。
しかし方法論というのは、各自が、それぞれの作品に対応するものを考え出さなくてはいけないのです。そつまりどういうモニュメントに、どういったエレメントを加えることによってそこに対話が生まれる。こういうことによって始めて、新旧がひとつの建築となって再生されるのです。おもしろいのは、モニュメントによってまったくその性格が違うので、一般論というのが成り立たないのです。

―ところで5つの作品のうち他の4つは何なのだったでしょうか。

イビサの教会。これは、我々が島内で収集した教会のエレメントを、残在していた堂につけ加えて、よりイビサらしい教会というものに仕上げてみました。我々は、島で6年間教区教会の仕事をしていましたし、島内の全教会の実測図も起こしましたから、イビサの教会について豊富な知識を持つていました。

―他には。

マジョルカ島の城の修復ですが、これは壁の補強や階段の新設、床をやり直したり、という細かい仕事です。もっと細かいのが、サン・ペレニデ・ラ・ローダというロマネスク修道院の修復です。これはもう、10年やってマジョルカ島のベズベル城の修復の後は、全長1Kmに及ぶカテドラル前の海岸道理の仕事をしました。とてもいい場所ですが、予算が毎月わずかしか出ないので、毎年少しずつやっています。

―新作では何をやっていますか。

オリンピック村のドーナッツ、カタルーニャ広場のデバートの仕事もやっています。後者は改造といっても、実質的には外装から避難階段の新設までやらなくてはいけないので、新しく作るのと同じです。これにもう3年半費やしています。周辺の住民からの注文が多いので、それをまとめるのに大変でした。
メノルカ島マホンの老人ホームも、今やっている仕事のひとつです。他に何やっていたかなあ……。そう、オリンピック村のコングレス,ホール、これはコンペだった。そういえば、さっき忘れたけど、イビサの城の修復もやっているし、個入住宅をふたつ、もうないと思うけど。そうだ、セビリア万博の政府館があった。これは指名コンペだったんだ。まだ決まってない。他にバルセロネータの室内プールもあった。

―すごい仕事量ですね。

いや、大したことありません。何しろ我々の作品はひとつで平均3〜4年かかる。

―事務所の所員は何人いますか。

基本的に8人ですが、締切り前には数十人にふくれ上がります。

―ところで、グエイ公園の修復の仕事はどうなっていますか。日本の読者も與味深いはずなのですが……。

もう3年もこの仕事をやっています。

―どういうところが一番難しかつたのでしょうか。

グエイ公園はもう30年間、何回か修復を繰り返しています。そのうちの何回かは、確かに不幸な修復をされています。今回のは、最大規模の修復です。主に広場のベンチ、その下にある列柱群のスペース、しかも第1期工事なのです。既存の構造体の補強、防水性能の補強、広場の排水処理といったのがこの目的です。
現在始められようとしているのが第2期で、これはベンチや天井の補修です。これが大変です。ガウディの時代には白いタイルが、クオリティ・コントロールがうまくされていなくて、白が実は真っ白ではなく、それが全体ではバラエティに富んだ表情を生んでいました。最近の修復ではまっ白いタイルを使ってしまいましたが、我々は15,6種類の白をわざわざ作らせました。
まあこれでバックの白はかなりいいものができたけど、色タイルの置き方も難しいゾー・・・・。

Elias Torres+J. Antonio Martinez

エリアスは1944年生まれ。アントニオは1941年生まれ。
68年バルセロナ建築学校を卒業以降、共同して事務所を開いている。エリアスはもともとイビサ出で,島での仕事も多いが、事務所はバルセロナに持っていて、大阪花博に参加、スペインの数少ない輸出建築家のひとり。

―あなた方の仕事は考古学的な性格のものと、創造性に富んだものとがあるように思うのですが、いかがでしようか。両方の違ったタイプの仕事を、とてもうまくこなしていると思うのですが。例えば、グエイ公園の修復工事です。

それは今のところ考古学的な仕事をしているということであって、今後はわからない。いずれにしろ、建築家ですから、修復工事でも何らかの足跡を残そうとするのは当然で、我々も何かのデザインを加えていますよ。
―まあ、そういうことかもしれませんが….。いずれにしろ修復復元の仕事には、あなた方の足跡がうるさいどころか、倏復のオリジナル部分が生きてくるようなデザインを、歴史建築に加えられていらっしゃいます。
―これまで、5つほどのプロジェタトに関わってきました。以前は文化庁の建築家たちが、スペイン全土の建築モニュメント修復していたのですが、時代が変わり、それぞれの地方の建築家たちが、自分の土地のモニュメントを修復するということになりました。我々の場合もそうだったのですが、地方建築家たちは、まったく修復の経験がなかったわけで、それが逆に修復という考古学的なおもしろい新風が吹き込むのではないか、という試みだったのです。
我々が、修復計画に加わる時に確かに困ったのは、勉強材料がないことでした。わずかに、50年代のイタリア建築での経験が残されていたぐらいでした。アルビーニ、スカルパ、ガルデェッラ、BBPRらの残した仕事が参考になったぐらいでした。
しかし方法論というのは、各自が、それぞれの作品に対応するものを考え出さなくてはいけないのです。そつまりどういうモニュメントに、どういったエレメントを加えることによってそこに対話が生まれる。こういうことによって始めて、新旧がひとつの建築となって再生されるのです。おもしろいのは、モニュメントによってまったくその性格が違うので、一般論というのが成り立たないのです。

―ところで5つの作品のうち他の4つは何なのだったでしょうか。

イビサの教会。これは、我々が島内で収集した教会のエレメントを、残在していた堂につけ加えて、よりイビサらしい教会というものに仕上げてみました。我々は、島で6年間教区教会の仕事をしていましたし、島内の全教会の実測図も起こしましたから、イビサの教会について豊富な知識を持つていました。

―他には。

マジョルカ島の城の修復ですが、これは壁の補強や階段の新設、床をやり直したり、という細かい仕事です。もっと細かいのが、サン・ペレニデ・ラ・ローダというロマネスク修道院の修復です。これはもう、10年やってマジョルカ島のベズベル城の修復の後は、全長1Kmに及ぶカテドラル前の海岸道理の仕事をしました。とてもいい場所ですが、予算が毎月わずかしか出ないので、毎年少しずつやっています。

―新作では何をやっていますか。

オリンピック村のドーナッツ、カタルーニャ広場のデバートの仕事もやっています。後者は改造といっても、実質的には外装から避難階段の新設までやらなくてはいけないので、新しく作るのと同じです。これにもう3年半費やしています。周辺の住民からの注文が多いので、それをまとめるのに大変でした。
メノルカ島マホンの老人ホームも、今やっている仕事のひとつです。他に何やっていたかなあ……。そう、オリンピック村のコングレス,ホール、これはコンペだった。そういえば、さっき忘れたけど、イビサの城の修復もやっているし、個入住宅をふたつ、もうないと思うけど。そうだ、セビリア万博の政府館があった。これは指名コンペだったんだ。まだ決まってない。他にバルセロネータの室内プールもあった。

―すごい仕事量ですね。

いや、大したことありません。何しろ我々の作品はひとつで平均3〜4年かかる。

―事務所の所員は何人いますか。

基本的に8人ですが、締切り前には数十人にふくれ上がります。

―ところで、グエイ公園の修復の仕事はどうなっていますか。日本の読者も與味深いはずなのですが……。

もう3年もこの仕事をやっています。

―どういうところが一番難しかつたのでしょうか。

グエイ公園はもう30年間、何回か修復を繰り返しています。そのうちの何回かは、確かに不幸な修復をされています。今回のは、最大規模の修復です。主に広場のベンチ、その下にある列柱群のスペース、しかも第1期工事なのです。既存の構造体の補強、防水性能の補強、広場の排水処理といったのがこの目的です。
現在始められようとしているのが第2期で、これはベンチや天井の補修です。これが大変です。ガウディの時代には白いタイルが、クオリティ・コントロールがうまくされていなくて、白が実は真っ白ではなく、それが全体ではバラエティに富んだ表情を生んでいました。最近の修復ではまっ白いタイルを使ってしまいましたが、我々は15,6種類の白をわざわざ作らせました。
まあこれでバックの白はかなりいいものができたけど、色タイルの置き方も難しいゾー・・・・。

AT 1990.02より