5/4死

ところが、巨匠の円熟期の全精力を打ち込んだサグラダ・ファミリア教会計画の完璧化とその建設のシステム化は、1926年6月7日の午後に起きた思いがけない出来事に方向を見失ってしまうのであった。
ガウディはこの日、地下聖堂に吊り下げるアラバスターと金属でつくられるランプをいじっていたが、午後になって当時の日課となっていた晩課のミサへの参列に,サグラダ・ファミリアから3.5キロばかリ離れた旧市街のサン・フェリペ・ネリ教会へ出掛けようと、それを手伝っていた職人に『ビセンテよ、明日は早くおいでよ、うんときれいなものを創ろうじゃあないか』と別れを告げ、現場を出ていった。
途中サグラダ・ファミリアからルートは色々考えられるが、バイレン通りを下り、大通りであるグランビア・コルテス・カタラーネス通リを横切ろうとしたときである。30番の市電がこの貧しい姿をした老人を撥ねた。身なりを見た人たちは、ホームレスと判断して慈善病院へこの老人を送り込んだ。タクシーが通りかかったが、お金を取れないとわかると病院へ運ぶどころか逃げた。市電の運転手もまた酔いどれのバカ者がフラフラと線路に入り込んできたと思った。それほど何かに気を取られていたのだろうか。すぐ近くにガウディはグエイ公園へ移転するまで住んでいたので十分な土地勘はあったし、もちろん日課としていた散歩道だったわけだ。起こりえる交通事故ではないのだ。7kmもの道のりを毎日こなしていたわけだから、足腰もしっかりしていただろうに。何故か分からない。
3日後ガウディは意識を回復しないままに世を去った。偉大な課題を我々に残したままに。


ガウディが轢かれた現場