IV ③ ベス・ガリ Beth Gali

1950年生まれ。インダストリアル・デザインのデザイナーとして活躍した後、建築に耘向する。バルセロナ建築学校を卒業。
80年のエスコルシャドールの公園コンペて入賞したのを始め,都市公園等の作品を残すほか,現在はIMPUのサブ・ディレクターとしても活躍。


―名古屋のデザイン博のガウディの城以来ですね。石山修武さんのタワーはなかなかのものだと思いますがどうですか。

現在ガウディの真似をして、サグラダ・ファミリアの建設を続行している無能な建築家たちのサグラダ・フアミリア教会より、石山さんのシンボル・タワーの方がよほどおもしろいですよ。

―あなたは、IMPU(市立都市振興営団)という組織の建築家として活躍されていますが、IMPU役割というものを説明願えますか。

オリンピックの関連工事を担当する第三セクターが、現在3社あります。オリンピック・リングの施設を担当するAOMSA (Anella Olimpica de Montjuic)、そしてオリンピック村を担当するVOSA(Villa Olimpica S.A.)、また我々のIMPU(Institute Municipal per a la Promoció Urbanistica i els JJ.OO ’92)がそれです。
バルセ口ロナでは1888年に万博が開かれています。市壁が壊され新市街区がつくられたのがその時期です。
1929年のモンジユイックで開かれた万博の時には、モンジュイツクの丘が開発されるきっかけになりました。
これまでの市の経験からいくと、大きなイベントのたびに都市改造がされてきました。今度もオリンピックを契機にして大規模な都市改造をしょうということですが、これに活力をやえていくのが我々の役目です。スポーツの面からいきますと、オリンピックというのは大ヒットなのですが、これを契機に直接オリンピックとは関係のないプロジェクトをみていく、というのが我々の仕事です。
例えば、第2都市内高速道を始めとする市内交通網、各種ミュージアム、これもご存知のように、現在では最悪な状態となっています。近代美術館、現代美術館等の新設も含め美術館全体が再編成されようとしています。
都市内の公園も同様です。オリンピック村内の公園、海岸線の整備、またバージェ・デ・エブロンの再開発、さらにディアゴナルは3つの異った市が隣接するところなのですが、今までどの市も開発に力を入れていなかつたため、整備が遅れているところです。これにも活力を入れようというのが我々IMPUの役割です。

―現在、IMPUの担当しているプロジェクトのうち、いくつが工事中うなのでしょうか。

大きくわけて、3つのエリアで工事中です。まず、先に出た第2都市内障汨ャ道、また第1都市内高速道とを結ぶ連絡道、これも全区画ではありませんが、すでに着工しています。一方、オリンピックの4っのエリアもすでに着工しています。プロジェクトの数は、ちょっと数えられない細かなものがありますから、いくつということは言えませんが、すでに着工されているものもあります。
他の大きなプ口ジェクトはタラゴナ通りの大改造で、この未整備の都市軸を現在の見本市会場へつながる位置開係を利用して、コンベンション・ゾーンとするというものです。この辺りはセントラル・ステーションにも近く、将来ビジネスの中心にする事が考えられています。
また、グロリア広場を中心にして、文化軸がつくられることが考えられています。ラファエル・モネオのオーディトリアム、リカルド・ボフィールの国立劇場の実現がすでに決まっておりま。

―今まで聞いていると、IMPU市の代行をして、プロジェクトの交渉をしているというように理解できるのですが、どうなのですか。

我々が直接、プロジェク卜に参加する場合もあります。
プロジェクト・チームは、4人の建築家を中心に構成されています。それぞれがプロジェクトをかかえていますし、あるいは建設省から送られてきた道路計画に対して、我々のところで再び手を入れます。

―というと。

マドリッド建設省の技術者は、バルセロナの町がかかえる特殊な事情というのも知らないわけだし、それを微調整して完璧なものにしていくというのが我々の役目です。

―大変興味深いことですね。日本では土木と建築の分野が明快に分れすぎていて、高速高速道という都市景観と密接に関係している道路ですら、テクノクラートだけが設計に参加するため、あまりいい結果にはならないのですが…

スペインでも最近までは、マドリッド建設省からプロジェクトが届けられると、そのまま建設されました。ただ現在では、地方自治が認められていますから、この辺りの事情がかわってきたのです。

―現在、IMPUでは何人の人が働いていますか。

42人です。

―話はまったく違いますが、スペインの建設業界で女性が働くというのは、とても難しいのではないかと想像するのですが、どうなのでしようか。伝統的にラテン諸国というのは女性の地位が低く、マチズム(男性主義)という言葉すらあるぐらいですから。

私の学生時代は580人中、女の子は3人だけだったのですが、現在では女子学生の方が、半数以上を占めています。スペインも、確かに以前は建築の分野で女性が活躍るような余地はまったくなかったのですが、社会がかわりました。

―日本で今度仕事をされるとか。

まだ企画段階ですが、とても楽しみです。

AT 1990.02より