ガウディ死後50年

1926年6月10 日にアントニ・ガウディが没し,今年でちょうど半世紀となる。バルセロナではこれを記念して,いくつかの行事が孤高の天才建築家に棒げられた。
6月10日には市役所内で「ガウディ友の会」の会長バセゴダ氏による講演「ガウディの建築」があり,6月11日にはスペイン国営放送によって約30分の特別番組がテレビで組まれた。特にサグラダ・ファミリア教会の建設続行についての賛否両論がルポ形式で集められ,中でも建築家ボイ一ガス氏の「ガウディの死後50周年を記念するなら,現在建設中のガウディとまるで関係のない,でっち上げである部分を爆破しょう」というものが大衆的賛同を得たようである。
また同日のスペイン最有力紙ラ・バングアルディア(La Vanguardia)によると,市は50周忌を記念して,現在演劇博物館となっているパラウ・グエルを保存のため修理を加えること,また建築家タラゴ氏によって,館の小冊子が作られることが発表された。
続いて14日には「タジェ一ル・デ・アルキテクトゥーラ」の建築家ボフィール氏と,詩人ゴイティソロ氏による共同講演が「ガウディの詩情」と題してパラウ・グエルで行なわれた。
それと並行して,バルセロナの画廊サラ・パレス(Sala Pares)では,ガウディのオリジナル図面を集めてガウディ展が6月5日から20日まで開かれた。出品は全部で49点(うち2点は写真),これだけの図画が集まったのは初めてのことである。
もともとガウディの大部分の図面は,その死後ラフォイス氏によってサグラダ・ファミリア教会に集められたものの,スペイン戦争によって完全に焼失した。特にサグラダ・ファミリア教会のものは一枚も残らずなくなってしまったのであるが,さまざまな人の努力により,その後発見されたり,スペイン戦争以前にすでに私有物となっていたものが,今回バセゴダ氏の努力でここに集められた。
ガウディの図面は繊細さと描写力に特徴がある。彼はその弟子ベレンゲールが最初に事務所に来た時,1ミリ間隔の2本の線を引き,その中に何本,等間隔の線が引けるかを訓練させたという。後にはベレンゲ一ルは20数枚のパラウ・グエルのファサードをドローイングさせられたのである。
今回の展示会で興味深いのは,これらの特徴がみられるブレゼンテーション的な図面,あるいはクロッキーであろう。学生時代の作品,例えば,カタルーニャ広場の噴水計画の立面図(755x1030ミリ)はカンソン紙に鉛筆描きでグワッシュで着色されているが,その彫像の表情まで見事に表現されている。逆にその平面図〈470X900ミリ,縮尺250分の1〉は鉛筆描きで,製図具の悪さとテクニックのまずさがみられ,対照的である。これはガウディの3年生の時の図面であるというから,やはり驚かされざるを得ないが……。それからクロッキー中にもガウディの特質がよく表われている。
まさに偶然発見されたカサ・バリョのカンソン紙に鉛筆で描かれたク口ツキー(500X675ミリ)は,きわめて細く削られた鉛筆で,幾本にも線が重ねられ,あの骨格のようなファサードが描き出されている。そのうえ,同図面にはいくつかの数字の書き込みもある。後期のものではコロニァ・グエル教会の内(13X471ミリ〉、外(595X460ミリ)2枚のクロッキーがある。この計画は周知のように力テナリー曲線の実験から立案されたものであるため,同実験の写真の上にグワッシュで着色されている。これなどまさにガウディの実験的な物理的発想の芸術的投影ともいえる設計方法を具現化しているようなクロッキーである。

A+U 76年10月号より