IV ⑨ ジャビエール・グエイ Xavier Güell

1950年生まれ。76年バルセロナ建築学校を卒業。現在Gustavo Gili社に専属のコンサルタントとして勤める他、同社から「アントニオ・ガウディ」(邦訳は彰国社から出ている)、「磯崎新バルセロナ・ドローイング」等を出版。オリンピックと並行して行われるカルチャー・オリンピックのプロデューサーの一員としても活躍している。

バルセロナ派の建築、マドリッド派の秦というのは、存在するのでしょうか。

もちろんあリますよ。ただ50年代から60年代にかけて生まれたこの“派”は,当の先導者であるオリオル・ボイーガス等の事務所 (MBM, M.マルトレル+ボーガス+マッケイ)
自体、当初目指していた動きとは、まったく違った方向に動いているということも事実ですね。
当時の彼らの目指していたことは、ぴったり土地の文化に根付いたもので、バルセロナの文化の一端としての建築を目指していました。70年代を過ぎると、この傾向は益々強まってきたと思います。ただ、文化に興味のある建築家たちだけに限つてですが…。
ただ、バルセロナにはなかった状況というのがマドリッドにはあり、戦後の復興がいち早くはじまった首都では工事量も多く、大きな器の建築が早い時期から育っていました。例えば、サエンス・デ・オイサとか、ラファエル,モネオらです。おもしろいことに70年代にモネオは、バルセロナに建牵学校のディレクターとして住んでいました。これは歴史的事件で、マドリツドの人とバルセロナの人との接触の場が生まれ、交流が生じました。
これを契機にして、第2のバルセロナ派の建築家たちが 育 つていきました。
彼らは、80年代に確固とした地位を、バルセロナの建築界で占めるようになってきました。とはいえ、第2のバルセ口ロナ派の建築家たちも、やはりボイーガスが育てたといえます。この時期にちょうどボイーガスは、市の都市計画部長という職についていました。
80年代の後半には建築ブームが始まリ、新たな局面が開けてきました。つまり、第2バルセ口ロナ派以外の建築家でも、仕事ができるようになったのです。いずれにしても、ある意味で“派”は生きているといえますね。しかも、いずれもが土地の文化に強く根ざしているといえましよう。

―それでは、オリンピック施設や関連施設が今どんどん工事されていたり、計画案が完成されたりしています。
特にオリンピック村は、現在活躍中の代表的な建築家たちが揃つて競演する一方、ボイーガス・グループによって全体計画を500分の1のスケールまでやっていますから、建築家たちは出る幕がないのではないでしようか。

オリンピック村で大切なことといえば、セルダの都市計画の未完の部分であった 一帯を、新しい解釈のもとに、しかもかなりの短期間のうちに実現するということで、ヨーロッパの都市計画のモデルとなるような期待が寄せられていることです。確かにボリュ
―ムもボイーガス等によつてかなり細かに決定されていますが、全体それぞれの建築家によつて別々の提案が出され、煮つめられていくでしょう。オリンピック村は海岸線に面しているところですから、そのプロフィールも非常に重要ですし、今後の改善が必至とされます。

―さて,オリンピックのある92年は、スペインが正式にEUの一員となって国境がなくなってしまう年ですね。
その時バルセロナの建築家たちはどういった活躍していくのでしようか。

ヨーロッパのなかでも、現在のバルセロナの建築家たちは、決して他に劣らない力を付けてきました。一方では、土地の文化に根強く根ざしていきながら、国際舞台でも活躍できるような力も身に付けてきました。

―今、日本では、アルフレッド・アリーバスのディスコ、エリアス・トーレスの花博のパビリオン、オスカー・卜ウスケッツの福岡の集合住宅と、バルセロナの建築家たちが活躍しはじめましたね。

―それが日本のいいところですね。ガウディもそうだったけれど、スンナリまったく異質の建築を受け入れ、実際の仕事をやらせてしまうところなんか、うらやましい限りです。
バルセロナは今、ちょうどガウディの時代と同じように仕事も多く、1世紀前と同じような状況が生まれつつあります。これをいち早くキャッチして、バルセロナに眼を付けたというのは、さすがに日本だと思います。新しい分野に興味を持ち、新しい土地に対して恐さを知らず飛び込んでいく、この視点を待っているのが日本ですね。まったくおもしろい国です。

―最後に、あなたはガウディの本を1冊書いていますが、興味を持っている建築家とかか建築作品には、どういうものがあるのか聞かせて下さい。

歴史建築?それとも現代建築?

―そうですね。ではまず、ガウディでは。

ガウディの作品のなかで、それも一応の完結をみた作品ではやはり、カサ・ミラが一番興味があります。それに未完のものでいえば、やはりコロニア・グエイ教会でしょうか。
その他の建築家だと、フランク^・ロイド・ライトだとか、ルイス・力ーンも好きですし、アルヴア・アアルト、それにミース・ファン・デル・ローエなんかとても好きな建築家です。

―今年5月にはカルチヤー・オリンピックの第1回目のイべントが計画されていて、あなたもプロデューサーの一員になっていますね。テーマは何なのてすか。

モデルニスモです。

―我々も昨年、同じようなのを名古屋のデザイン博でやりましたが、是非頑張って成功させて下さい。


AT 1990.02より