ガウディとガウディたち Vol.1

第一章
ガウディたちのバルセロナ
グリツド都市での反旗


はじめに
かなり前のことだが、マド'リッドでソフィァさんと知り合った時、いろいろ話をしているうちに「スペインというのはずるずる居つく国ですね。」ということを彼女はもらした。そこで、台湾出身の彼女に来西何年目ですかと尋ねたら「15年目です。」という返事だった。もう今では20年を越えているはずだ。スペインという国は今日と明日、昨日と今日の境目のはっきりしない国である。これはこの国に住んだことのある人なら必ずわかってくれるはずだ。
筆者もずるずると15年をこの国で費やしてしまった。もともと、こんなつもりは毛頭なくて、卒論のテーマだったガウディをこの目で確かめてやるつもりで、ほんの一年ばかり遊びに来たのだが、あっと気がつくと早や15年ということになってしまったわけだ。ソフィァさんのことはとても笑えなくなってしまった。これにはいろいろな事情があって——いや言い訳がましいのだが——ちょうど一年を過ぎた時、いや何をやったのだろうかと考えてみるといかにも何もかもすべてが中途半端に思えてしかたなかった。

ガウディは確かに見て手に取れたのだが、それは日本で読んだ文献に書いてあったことや写真集のなかの写真のカットを自分で確かめたということにしか他ならなかった。
とりわけガウディがなぜこの国でこういう形で生まれたかということになるとさつばり見当もっかなかった。日本では今も幻想とか弧高の建築家という見方をガウディにあてはめようとしているのだが、バルセロナにいて生活を始め自分のまわりがすこしでもみえてくると、ガウディは幻想でも弧高でもないのだということがわかってくる。昨日と今日の境がつかない頃になってくるとガウディが紙の上のものではなくて、実体として見え始めてくるのだ。

もっともこういう時期が一年後に突然現れたのではなかった。最初の1,2年はとにかく旅をした。スペイン語はさっぱりわからなかったから本は読めないし、スペイン人と論議も交わせないからせいぜい旅をして肌で感じようとしたのだ。まずこの国、とりわけカタルーニャというところがわからない限りガウディなどわかるはずがないのだと思った。スベインという国を知るうちに友人と共同でつく
つたのが一冊のガイドブックだった。そして、スペイン建築を見て歩いているうちにできたのが相模書房刊の「スべイン建築史」だった。実はこの本はまるで売れていないのだが、スペイン本国ですらいまだないスペイン建築の通史だし、図版の6割以上は筆者が直接つくったものだし、.こういう意味でも筆者にとっては特に愛着のある一冊なのだ。

といっても一国の国民性や文化を知るのはたいへんなことで、ましてやガウディを理解するために、いわば副次的にみているわけだから、片寄った見方での興味しかもともともっていないので、いいかげんな私見でしかないのだがかといってアカデミヅクな研究をするつもりもないので、私見であろうと筆者にとってはまったく構わない。

ガウディについては78年に彰国社から小冊子としてまとめたのだが、あの当時は出版社がしぶるほど、ガウディに対する興味や理解がなかった当時でもガウディの熱心な研究者はいたのだが、彼らは日本という遠い国から見ているので、筆者には当然起こる焦点のずれが気になってしかたがなかったので、ガウディの全体像を教科書的にまとめてみたのである。それにいずれ本格的な研究者が出るだろうから、彼らの手掛かりにでもなればと思った。

第一、建築のこともわからない、若僧が大上段に筆をふりまわすべきではないと思った。
来西15年目だから、今まで書いてきたようないろいろな問題に対して開眼したから、この連載を始めようというわけではまったくない。そうではなくて、日本の読者とガウディとの距離が接近したから、もう少しほそぼそとしたガウディにまつわる事情というものを書いても日本の読者にあきられず読んでもらえるのではないかと判断したからである。いわば中間報告であると思っていただければ幸いで
ある。
全体を8章に分け、今月号から断続的に連載していきたいと思っている。

こういった機会を与えてくれた中部建築ジャーナルに感謝したい。

続く

中部建築ジャーナル1986年11月号より