モサラベの建築風景 Vol.1


歴史風景
10世紀のヨーロッパは混沌としていて、次の11〜12世紀における文化,芸術の開花へ向けて、あたかもエネルギーを蓄積しているかのようなエボックであった。ところが、イベリア半島では少々、事情が違っている。アストウリアス王国が再興し、レオン王国ガリシアへとその勢力を伸ばしていく。また、ナバラ王国が誕生して、これがアラゴン地方へと勢力を拡大しつつ、イスパニア辺境領が後方にシャルルマーニュの援助を受けながら、態勢を整えていく。いわゆるレコンキスタ(国土征服運動)の真只中にあって、膨大なエネルギーが国の内外からこの半島へと投入されて、内的なエネルギーを充分に蓄積し、爆発寸前の状況に達していた。
モサラベとは、回教徒勢力版図内でのキリスト教徒をいう。ムデハルというのがキリスト教勢力下の回教徒なのだが、この方はモサラベより少々、時代が後になる。ヨーロッパのキリスト教勢力の樹立までには、さまざまな小勢力の排他と統合の血なまぐさい歴史がまつわっている。モサラベもそのひとつの過程なのだが、当時の高度な回教文化へ接触することができたイベリア半島だけが生み得た独自の緊張感に満ちた状況下に生まれた類をみないユニークな様式なのであった。

建築風景
(名称/原名/所在/建設年代/解説の順)
サン・キルセ・デ・ぺドレツトSant Quirce de Pedret, Barcelona近郊、バルセロナ県下/ 983年以前/カタル—二ャ地方のレコンキスタは早い。シャルルマー二ュ勢力下に入ってわずか百年の後にはジョブレガット河対岸まで回教徒勢力を押しやってしまう。(たとえば、バルセロナは801年にレコンキスタ終了)ところが、それ以前のコルドバの力リフはすでにカタルーニャ建築までも影響を及ぼしていた。岩盤質のかなりきつい傾斜地に建つこの教会堂は市街地から離れ、中世に建設された3つのアーチで構成される橋を渡ったところにひっそりと建つ。3身廊形式、3アブスがこれに対応し、東側側廊天井がヴォールトでつくられている。堂にあった有名な、いくつかのフレスコ画は現在、ソルソーナ美術館に保存。


中部建築ジャーナル1985年12月号より


ソルソーナのミュージアム