奇岩と建築 |カッパドキアの旅

アテネから列車で8時問。その終着駅Kalambacaは古代都市Awginionのもとに建てられた緑豊かな地である. 平坦なこのあたり,ちょうど,力ランバカの背後に岩山がある,それがメテオラ(Meteora)である,最初の行者がここにやってきたのは,ビザンティン帝国衰退期といわれるから12世紀の少し前だろうか,安全な隠遁所を見つけんものとギリシア中央部のこの地へやってきたその時,彼らがメテオラで見たものは垂直に植物のように生成した巨岩群であつた.恐ろしく切り立った岩のひとつDoupianiに,彼らがその信仰と生活と防衛とを目的に修道院コミュニティを建設したのが,メテオラ修道院群の誕生といわれる.
現存する修遒院の最奥地Metamorphoseos修道院(1382年創建),それはひときわ大きな巨岩に苔のように生えている.岩に根を持つ植物,あるいは岩そのものとしか思えない.14世紀中葉,群化した僧侶たちは修道院コミュニティを発展させていった.そして1世紀,さまざまな特権を得て4つの修道院は6倍にも数を増したのだが土地・財産・名誉共に備えた彼らに,内部紛争が起きたのもそんな時だった.弱小修道院は強大修道院に食われ,あっさりとコミュニティは崩壊していった. 16世紀にいく分回復されたものの,栄光は帰らなかった.現存する修道院は、Metamorphoseosのほか, 最大修道院Varlaam(14世紀中葉),聖Stephanou(14世紀), 聖Triadas(1476年),Roussanou(1545年), そしてAnalipsis寺院(14世紀中葉)である. ともに初期キリスト教時代のモザイク・フレスコの宝庳といわれている.
しかし,その信じがたい奇岩構成の神技と設置条件はさらに興味深い. 数10mに達する岩上修道院は今でこそ階段あるいは吊橋があるが,かってなその防衛上の目的から滑車が使われていた. それはマグリットの1枚の画を想起さえさせる. 長い髭,髷に結われた長髮,黒衣,そして僧帽の修道院僧は,その奇岩城で何を祈っているのだろうか.
トルコの地図を広げてそこに十字を引く, ペルシャ語のKatpatukaを語源とするKappadciaがそこにある.アンカラからバスの便を使えば5時間,なだらかな平地を幾つも過ぎ,銀色から灰色, 時には白にまで変わっていく,通り抜けのオアシスの村々は,子供の頃読んだ'砂漠の物語に似ている. ただ自分が乗る真新しいバスが騾馬に乗る老人やら羊の群れを蹴散らすのが気にかかった. 田を耕す人々が大きく手を振る,子供らはあらん限り,彼らのこの現実,そして私の夢,それはいったいどこまで続のだろうか. Ürgüpの村. レストラン・カッパドギアからディスコ・カッパドギアまで,エセ商法が軒を連ねている. 大衆乗合乗用車は客を待ち、料金は直接交渉である. 客はチャイと呼ばれるお茶を飲んで満車を待つ. 時刻表等ない. 全域が保存されているGöremeへのドルムスの中で若い女が嘔吐した. その軽々しさと素早い始末が動物的で,トルコ髭の立派な運転手の処置の日常性がいつまでも像を残した.
ベレメの谷の何千年の侵食にさらに食い入るように, 莫大な数の岩穴教会が,外部装飾の排斥を特質として群居している. 記録による最古のTavcanle教会,完全な一群の伝説を保存しているTokali-Kiviseの教会をはじめ,おもなものでElmali,Karamlik,Kilisi,Careigli(12世紀)などが保存されている.それらの教会で発展したビザンティンとの係わりを持った壁画も興味深い. 谷に降り,穴にもぐり,さらに穴に飛び出る. 土とほこりにまみれ,日没をかえた私は, いつか子供の頃遊園地で遊びほうけて日暮れの中にいる自分を見た.
スペイン最大の聖地のひとつであるMontserratはGaudíの名と共に浮かぶ,Barcelonaのサグラダ・ファミリア教会の御誕生の門の軒の垂れ下がり,流れ落ちるさま,その左端の「望」の門には「モンセラの岩」そのものさえある.
ガウディはあらゆる造型の原型がそこにあると言った. 海抜721mの地点に,ベネディクト派Subiaco宗団に属する修道院を持つモンセラは,バルセロナ侯Wilfredo1世が888年に奉納したのを期に ,一介の礼拝堂から行者庵へと進展し,15世紀初頭独立した修道院区を持つに至った. それ以来禁欲主義と英知の中心的影響圏として,そしてカタロニア地方の魂となった. 平地に突如として鋸伏の岩山が平穏と安逸とを破って突出している.遠景は悪魔的ですらあり,近くに,寄れば今にもどろどろと溶解した岩石に呑まれそうである. それをいかにも制圧するように修道院は建っている.
メテオラの奇岩城,カッパドキアの砂の教会群,モンセラの悪魔山・・・無表情に純化され歪められた現代建築に,彼らは何を語ろうとしているのだろうか.

たんげとしあき/バルセロナ大学在学