ガウディのサグラダ・ファミリア

ガウディは財産も持たず、生涯を独身で過ごし、特にこのサグラダ・ファミリア教会建設に彼の人生の大半である四十四年を費やしている。
生前でも貧者のカテドラルと言われたように、ガウディは私財を投げ打って、自ら募金運動をし、特に晩年はその建設に没頭するばかりに、サグラダ・ファミリアの工房に寝泊りしていた。市電にはねられて瀕死の重傷を負った時には身なりもかまわず、ホームレスと間違えられ死んでいったように、ひたすら教会の建設に打ち込んでいた。
ガウディが建設に直接係わったのは、地下聖堂、アプスの外壁、そして御誕生の門といわれる部分であって、これは全体の中では三つできるはずの門のひとつにすぎなかった。
ガウディがサグラダ・ファミリア教会の工事を始めたのは、前任のビジャールが教会建設をプロモートしていた宗教団体フォセフィーナとの折り合いがつかなくなって退陣した一八八三年 で、この時はビジャールの設計でクリプトの工事がすでに始まっていた。ガウディは大胆にも着工していたクリプト部分を最初は撤去しようと考えていた。といっても信者のお布施で建設される贖罪の教会だからとてもそれは許されるわけがなかった。それでもガウディは設計変更を加えている。クリプトは空間的には一般的な地下祭室というクリプトではなく、かなり特異なタイポロジーとなった。つまり空掘を周囲にめぐらすことによって自然光が直接クリプトに入るようにし、アクセスも伝統的な内陣交叉廊から降りるのではなく、側面の祭室のひとつに螺旋階段を組み込んで降ろさせるという方法がとられている。これで交叉廊部分は邪魔なものがなくなり外陣から内陣が見渡せるという空間を見せる構成にしている。
次いでアプス周壁を建設しているが、この辺りでガウディは教会のある程度の全体像が分かってきたはずである。